都道府県別・県民性&地域性 index  
                                                          
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沖 縄



県民性とは(1)

 島国で南北に細長い日本。古来の呼び名「豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)。その日本の各地方ごとに,地勢や気候風土,さらには遠く律令の時代にさかのぼる国,藩幕といった地域固有の歴史に育まれた独自で個性的な文化を築きあげてきました。そこから派生した価値観,気質そして,風習や暮らしぶりといった地域固有の文化,価値観を県民性と定義し論を進めます。
 そして,都道府県といった行政区分を軸として北海道から九州までの全国各地の地域性とその中核都市の地域性を概括し,加えて地域文化の変化の方向を探ります。

  なお,個々人の性格は生まれ育った土地の風土のみならず,性別や両親や友人の影響,その後の生活環境など後天的なものから形成されていきます。 したがって,生まれ育った土地が同じだからといって,地域に暮らす人たちが,みな同じ気質ということはありえません。だが,その土地ならでの独特の気質や生活慣習など,ある種の共通性が存在します。

 豊かな海に四方を囲まれた日本列島の内陸は,険しい山と川にへだてられ,小さな地域社会の連合体が形成され,各地域に個性豊かな文化を生み出してきました。情報化社会の進展によって文化の画一化が進み,地方や郷土の特徴がなくなりつつあります。
 だが,歴史が育んだそれぞれのお国柄,特有の気質といった地域性は今も健在です。同じ地域の中で生きていてお互いに「文化を共有」していることから,物の見方や考え方,生活習慣や嗜好といったものに,そこに一定の傾向が見られることは必然性を持ちます。
 いま,交通網が整備され,広く県境を越えて人々の移動が日常化しました。こうした状況にあっては,県あるいは地域といった行政区分でのくくりで地域性を見るのはナンセンス」,との指摘もあります。しかし,人それぞれが生活し仕事を営んでいる行政域単位で地域性を探り,その変化の方向を観察していくことは,地域を理解する上で興味深く,また有意義でもあります。
 
 元禄時代(17世紀末~18世紀初頭)の書,『人国記・新人国記』(じんこくき・岩波文庫)では,武蔵・上野・信濃三国の様相を次のように描写しています。武蔵については,「当国,西は山深く,東に江海(こうかい)を受け,広大の国なり。古昔(いにしえ)は武蔵野とて曠原相(こうげんあい)続いて,自ら人の心も活気なり。」(「新人国記」巻之上,以下同じ)と評しています。「熊谷・鴻巣辺は上州の風に異ならず。寒暑中正(ちゅうせい)の内,余寒猶(なお)多し。烈風宇常に多し」と述べ,熊谷・鴻巣辺の風土は上州(上野)と変わらないとしています。     
 上州については,「当国も山谷(さんこく)多く,甚だ大国なり。‥…・坂東(ばんとう)の国の中にて,地形高く広大にして,開きたる地もあるゆゑに,上野(こううずけ)の国と云ふにや。……民俗……人の心堅固な。」と,上州人気質を分析しています。また「当国の風俗は,碓氷・吾妻(あづま)・利根三郡は,信州に似たり」ともあります。
 このような,いにしえの生活模様は,いまの世にもに通じる所,多です。
         (出典・参考 「街道の日本史17 中山道  山田忠雄著・吉川弘文館刊」

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県民性や地域性は,風土・歴史によって育まれる--今に残る藩制度の名残

  日本の地方分権は平安時代からの荘園,そして江戸時代に完成された藩で成り立っていました。江戸時代には,大は加賀100万石から小は1万石そこそこといった小藩まで260以上の藩が存在していました。こうした名残は,いまも全国各地に残っています。

 県域における著しい「土地柄」の違いを示す象徴的な事例として,長野県があげられます。長野県は長野,上田,佐久,松本,伊那と六つの盆地それぞれのが生活・文化・経済圏を形成しています。幕末に松本,諏訪,上田,など11藩があり,異質な地域社会が構成されていたものを,廃藩置県で一つの県にまとめたという経緯から,長野県は信州合衆国だ」と言い切る県民もいるほどです。  

 古代,愛知県は尾張国(木曽川・庄内川地方),三河国(西三河の矢作川地方),穂国(東三河の豊川地方)の3国に分かれていました。大化の改新後,尾張,三河の2国となり,これが江戸時代まで続きました。
 明治4年の廃藩置県で,尾張(知多郡を除く)は名古屋県に,三河と尾張の知多郡は額田県となり,明治5年に名古屋県は愛知県と改められ,同年額田県を廃して愛知県の管轄に移し,尾張国,三河国は愛知県として統一されました。こうした経緯からか,尾張と三河では,土地柄,気質ともに異なります 

 同様な事例は,青森県の弘前vs八戸,山形県の山形市vs酒田市,広島県の広島市vs福山市,静岡県の静岡市vs浜松市など全国各地に見られます。 この丘はちょうど森の中央に位置しており,森の中を散歩したり,自然の中で遊んだりするときにも,ちょうどいい拠点になります。森全体を見渡すことも可能で,夜は満点の星空を満喫できます。



歴史が育んだ地場産業

 愛媛県の今治市は,タオルが代表的な地場産業であり,全国生産高の約5割のシェアを持ちます。温暖な気候と水に恵まれて発展した百十余年の歴史と伝統を受け継ぎながら,日々技術開発に努め先進的な商品づくりに挑戦し,JAPANブランドとして世界を視野に新たな発展をめざしています。
 同県の四国中央市では,「お札と切手以外は何でも揃う」といわれるほど,江戸時代より手漉き和紙の地場産業集積地として長い歴史を有し,現在でも多様な紙産業が集積しています。近年,ダム建設による工業用水の確保や,港湾整備が行なわれ大王製紙,丸住製紙,愛媛製紙,ユニ・チャームといった有力企業が操業し,今日では紙・パルプ紙加工品などの製造品出荷額は約4,800億円と日本一の紙のまち成長しました。2011年年3月には多目的国際ターミナルが供用を開始し,港湾機能のより一層の充実が図られています。

 石川県での伝統工芸が隆盛した起源は江戸初期にあります。外様ながら百万石の雄藩であった加賀前田藩は江戸幕府に謀反の意志のないことを示すため,惜しみなく工芸に藩の財源を注ぎました。以来,400年にわたり,この地方で工芸は潰えることなく,いまに続いて来ました。 金沢の伝統工芸に連関して産業が生まれました。手仕事の技から繊維を織る産業ができ,そこから工作機械が生まれました。そして産業がまた文化を支える。そうやって街が栄えてきたのです。森の工房では,春,夏,秋,冬と,四季折々の自然を楽しむことができます。

 小豆島に醤油造りが始まって400年。いまも「マルキン忠勇」「ヤマロク醤油」など19軒の醤油醸造所があり,その歴史は続いています。この地では,もともと良質な塩が作られていたことに加えて,海上交通の発達が大豆や小麦の運搬を容易にしました。さらに酵母の発達と熟成に適した温暖な瀬戸内気候も手伝い,小豆島は醤油の一大産地となりました。時間のかかる熟成をじっくりと待てる心のゆとりという,島の人たちの大らかな気質が小豆島の醤油をおいしくしています。
 醤油の小豆島で佃煮産業が盛んなのは当然のようですが,その始まりが戦後と意外です。第二次大戦の敗戦後の食糧難時代に,身近にあった醤油でサツマイモのツルを炊いたことに始まります。いまでは醤の郷を醤油ゾーンと佃煮ゾーンに分けるほどの地場産業になっています。

 岡山県は,南は昔より水運に恵まれた瀬戸内海に臨んで四国に,北は山陰地方と接し,中四国地方の交通の要衝として古くから重要な位置にあるという地理的条件。そして,古代から,大和地方と並んで古代吉備の文化発祥の地として栄え,現在に至るという風土やなど地域に根ざした学生服,ジーンズ,ワーキングウェアなどの繊維産業,製鉄関連の耐火物や石灰産業,県中北部は木材産業などの企業が生まれています。

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地名にみる地域性

 日本各地には,旧国名がつく地名やそれを組合せた呼び方で鉄道,道路の路線名,などが付けられています。
 磐城(いわき)→いわき市
 常陸(ひたち)→常陸太田市,ひたちなか市
 武蔵(むさし)→武蔵野市,武蔵村山市,武蔵野線(JR・鉄道)
 安房(あわ)→安房郡,房州うちわ,房州びわ,
 越後(えちご)→越後平野,越後山脈,越後獅子,越後三山,越後杜氏,越後鉄道,
 信濃(しなの)→信濃町南信濃村,信州そば,(信濃川:新潟県),しなの鉄道
 美濃(みの)→美濃市,美濃加茂市,美濃和紙,美濃焼,
 甲斐(かい)甲州(こうしゅう)→甲府市,甲府盆地,甲州ぶどう,甲斐路


食彩-伝統的な食文化

 行事や葬祭の時の食べものにはどのような地域差があるか
 年中行事や人生儀礼、祭礼には、日常と異なる特別の食べものが作られてきた。行事食には、行事内容を象徴する側面と、行事に集まる人々を接待する御馳走としての側面がある。行事食は全国に共通するものが少なくないが、一方で地域差があることも知られている。たとえば、正月七日の七草粥(ななくさかゆ)は日本全域に見られるが、中に入れる具が 「七種」 であることに主眼があって、地域によっては海藻を加えたり、餅を加えたりする。

 行事には、餅・団子・赤飯や白米だけの飯など、米を材料にしたものが供されることが多い。白米の飯を常食 する現代では「ごちそう」ではないように思えるが、かつての農山漁村では、ふだんは麦飯や野菜などを混ぜたカテ飯を食べて米を節約し、行事の時だけ贅沢な消費が許されていた。米は、文化的にも経済的にも価値の高い食物であった。さらに、餅や団子は、さまざまな形状を形
作ることができることから、行事を象徴する食べものに適していた。赤飯は、赤い色のめでたさ、あるいは小豆 あずきの持つ 「境目の食物」としての性格から、出産、婚姻のほか、地域によっては葬式などの人生儀礼に用いられることが多い。他方、うどん・蕎麦などを行事食に多用する地域もある。こうした粉食は、粉にする手間がかかることから「御馳走」として位置づけられているといえる。
  うどんは畑作地帯、蕎麦は山間地城で用いられる傾向があるが、蕎麦は都市的な洗練された食べものとしての性格も無視できない。
 正月の雑煮が地方によって違うことはよく知られている。丸餅か、四角の餅か。味噌仕立てか、すまし汁か,だしは何か。具は、大根、里芋、人参などの野菜類のほか、鶏、鮭、鯛、鯖などさまざまである。雑煮の相違は、東日本と西口本の対立として語られることが多いが、実際は複雑であり、岡、地域、同一村落でも同族や家ごとに相適する例もあって、これを祖先からの習慣として伝えているところに特徴があるといえる。雑煮を作らず、正月の一定期間、餅を食べずに里芋・山芋・うどん・そばなどを行事食として用いる「餅なし正月」の習俗も各地に見られ、米・稲作だけに還元できない日本文化の多様性を示す事例とされる。
          
 正月の行事食には、年取魚(としとりさかな)の違いもある。この地域分布は、糸魚川-静岡構造線にほぼ一致して、東日本の鮭   と西日本の鰤(ぶり)とに大別される。鮭の一大消費地、新潟県でも上越での消費は少なく、糸魚川付近は鰤圏(ぶり)である。
長野盆地は混在しており、松本・諏訪・伊那では鯖圏となる。日本海で漁獲された胸は富山湾に水揚げされ、いったん飛騨高山に運ばれて、鉄道開通以前にはポッカに背負われ、北アルプスの峠を越えて信州へ輸送されたので、松本や伊那では山国飛騨の名を冠して「飛騨鰤」と呼んだ。年取魚の追いは、流通経路の相達であったものが、地域の文化伝統として人々に意識され固定した。

 情報や食材の流通が発達した現在では、日常食は地域差が小さいが、かつては日常食のほうが生態条件の違いによる地域差が大きく、これと比較すれば、むしろ行事食には生態条件の相違を越えて日本全国に共通する面が少なくなかった。しかし今日では、定まった食べものが供される行事食のほうに郷土色が残る傾向にある。
 一般に行事食は縮小する傾向にあるが、なかには分布が広域化しているものもある。新潟県の5月5日の行事食として知られる笹団子は、かつては中越・下越地方で作られていたが、昭和30年以降、都市化に伴って喚起されるノスタルジアの感情により、「米どころ新潟」 の 「ふるさとの味」として全県域に定着した。また、節分に太巻きずしを恵方(えほう)に向かって丸かぶりするという大阪の花街で生まれた風習は、関連業界の巧みな宣伝によって全国的に広がりつつある。     
        出典:『民族学がわかる時点』 新谷尚紀編著  p226~p227  日本実業出版社 2003年刊



   「三里四方のもの食えば病知らず」といいます。「身土不二」という言葉もあります。どちらも,土地柄と季節に合った食べ物を食べるのが健康によいという諺です。また,し好,特に食生活にはお国柄が顕著です。お米,魚,海草,野菜・・・・。郷土の味は,その土地の気候風土や特産品が大きな影響をおよぼしています。海から遠く離れた内陸にあり,冬は雪に閉ざされた厳しい気候風土のなかで,育まれた福島会津の郷土食は,大豆,エゴマ,山菜,ソバなどを食材とした「健康食」でもあります。

 変化に富む自然を持つ愛知県には,八丁味噌に代表される豆味噌を使った,味噌煮込みうどん,鶏肉を入れた鍋料理など,特徴あるご当地料理が存在します。東西文化の結節点であり,東西の食文化が融合した名古屋には,おひつの中で刻まれたウナギをまぶす「ひまつぶし」,味噌煮込みうどんなど,味の標準化に妥協することのない,個性ある郷土料理が数多くあります。
 そして,地域によって嗜好に差も生まれています。大まかに分けて,関東より東はそば,西はうどんが好まれるようです。ただし,関東圏の山梨などは,「ほうとう」といった名物うどんがあり,関西でももそばが好まれる地域があることから,一概に決めつけはできません。
          参考HP:お国柄が表れる食生活(総務省 家計調査)

関東の味付けが濃い歴史的な背景
 江戸は,徳川家康が江戸幕府を開くまでは,主都の京都からは遠く離れた田舎であった。この時代,江戸の住民のほとんどは農民であった。関東武士とか東国の武士団と呼ばれる人達もいたが,彼等も平時は農業に従事していた。これら体を駆使する人々は,塩分の強い食べ物を好む。こうした背景から,関東では濃い味付けとなった。

関西の味付けが薄い歴史的な背景
 西の文化圏の中心は京と大阪である。京は8世紀末頃より都として,政治文化の中心地であった。大阪はその地便性を活かした商業都市として,またそれぞれが一大消費地であった。こうした土地柄から,ごく自然に料理の味付けは,薄味が主流となった。

 岩手県の冷涼な気候・風土を反映し,県北地域を中心にそば料理等の雑穀類の食文化が普及するとともに,県南地域は,稲作が盛んなことから,もち料理が発達しました。

■鯉

 鯉の先祖は1億3600万年も前から生息しており,原産は中央アジアといわれています。鯉は人間にとって身近な魚のひとつです。赤や白の模様がある錦鯉は観賞用,黒い真鯉は食用にされてきました。鯉が食用とされるようになったのは約3000年前からです。
 米沢の食用鯉は,藩政時代から200年もの長い歴史を持つ。米沢藩九代藩主上杉鷹山は,藩の窮乏の立て直し策として,養蚕や紅花栽培など,画期的な産業振興を推し進めたことで有名です。

■漬け物

 何はなくとも香の物。そういわれるように漬物は,日本人の食卓に欠かせない脇役です。漬け物には,その土地その土地の風土,文化が反映しています。
 例えば,山に囲まれた京の都には,「京野菜」と特筆されるすぐれた特産野菜が豊富に栽培されてきました。それを漬けるワザも年季が入っています。

郷土料理

  

秋田:きりたんぽ鍋:その昔,山で働くマタギ(猟師)やヤマコ(木こり)の手料理を発祥とする。野菜やキノコ類,そして新米をこねて串にさしたきりたんぽをいれた鍋。
愛知:「味噌煮込みうどん」:八丁味噌に代表される豆味噌を使った味噌煮込みうどん。
・福岡:「おきゅうと」:エゴノリという海草を乾燥させ,煮溶かしてかためたもの。短冊状にきり,削り節や博多ネギを振りかけ生醤油で食べる。

   「ごまサバ」:三枚におろした鯖を,よくすりおろしたゴマに,醤油,砂糖,ミリンを加えたタレで食べる。






■寿司

 寿司の起源は,東南アジアにあるようです。日本へは,中国を経て伝わったようです。中国から直接渡来したらしく,朝鮮半島経由ではなかったようです。というのは,朝鮮半島にある寿司は,時代的に新しいものだからです。朝鮮半島で「発酵させる寿司」を意味する「シッケ」という食べ物があるのは,東海岸地域です。日本では糀を混ぜる寿司は「飯寿司」と呼ばれ,山陰地方から北陸,さらには日本海側の東北地方から北海道へとつながっています。つまり,日本海を隔てて日本と韓国が似たような食文化を持ち,いわば「環日本海食文化」ができているのです。  
 全国各地の寿司ネタや食習慣・食文化の影響から,寿司飯の味は地域ごとの特徴があります。90年代に入り,寿司店の全国チェーンの展開や中食の普及などで,地域差は薄らいでいますが,いまも伝統的な地域の味は残っています。
  北海道:平均的,  東北:酸味,塩味が強い, 関東:酸味,塩味が強い
  中部:甘め,     北陸:平均的 ,       関西:甘め
  中国:甘め,     九州:濃厚な味,       沖縄:平均的

       参考HP:寿司飯の地域性(mizukanのサイト)

 寿司は,日本人の好きな食べ物の一つですが,元々は沖縄には寿司文化はありませんでした。それが,いまでは本土から寿司が伝わり,海ブドウ,ナポレオンフィッシュ,アカジンミ-バイといった地元の産物を使っての沖縄独特の寿司が生まれました。

■おでん

 冬に欠かせない鍋物の定番,おでん。各地のおでんも多様です。おでんの作り方や食べ方にも大きな地域差があります。最近は,ご当地ラーメンならぬ「ご当地おでん」に注目が集まっています。代表的なものとしては,生姜味噌を付ける青森おでん,黒はんぺんと黒スープの静岡おでん,鰹(かつお)のヘソ(心臓)を入れる焼津おでん,(愛知の八丁味噌ベースの味噌おでん,生姜醤油で楽しむ姫路おでん,てびち(豚足)などを入れる沖縄おでんがあげられます。
 
◆コンビニの地域対応戦略--おでん編
 “コンビニおでん”が浸透するのに連れ,「本格的で,地方色の豊かな味を求める客」が増えています。こうした状況を踏まえ,秋以降のおでんの季節に向け,各コンビニともつゆや具で地域性を打ち出し,舌の肥えた消費者の取り込もうと目論むものです。
 ファミリーマートは全国共通だったしょうゆを東日本,西日本,九州の三区分でそれぞれの地場産を採用し,より地元に根ざした昧を目指します。ローソンもつゆの味を一段と細分化。昨年の五種(北日本,関東,中部,近畿,西日本)から新たに沖縄を加え,全国8種としています。

 『書き込み中』
 お国柄が現れる食生活(家計調査):都道府県庁所在市別の結果から地域の特徴

 家計調査都市別ランキング :

■京野菜

 京都という雅な土地に育つ野菜。三方を山に囲まれた盆地ならではの昼夜の寒暖差が大きい気候,良質で豊かな水脈に恵まれたことが,美味な野菜を生み出しました。京都の気候と土壌にあった京野菜は,精進料理や懐石料理などの伝統的な食文化,そして海から遠い地域であることから,日常の食事が野菜中心であったことから,おばんざいとしてとして,いまに生き残ってきたのです。 この土地の持つ独特な魅力から,京野菜の人気は全国に広がっています。

■ちまき 

 端午の節句を祝うちまきは,郷土色豊かな和菓子です。
・中国から伝来
「事典和菓子の世界」(中山圭子著 岩波書店)によると,ちまきのルーツは中国。戦国時代の政治家・詩人で川に身を投げた屈原を悼み,命日の5月5日に竹筒に米を入れたものを供養物として作ったのが始まりとのこと。米や餅を窮で巻いたことから「ちまき」という。日本では平安時代には作られていたが,笹で巻いた菓子として広がったのは江戸時代。
・独特の製法
 ちまきは,地方により独白の形,作り方がみられます。いまでは,ほとんど作られていないが,岐卓県の「かりやすちまき」は,着物の染料になる刈安の葉をかぶとの角の形に巻きます。鹿児島を中心に隣接する宮崎や熊本で作られるのが「あくまき」。灰汁の上澄みにもち米を一晩つけ,モウソウチクの皮で包んで煮ます。そして,あめ色になったものを輪切りにし,砂糖入りのきなこをつけて食べます。
・北前船が取り持つ
 山形にも「あくまき」同様,灰汁でつくるちまき「竹の子巻き」があります。こちらは笹で包み,笹を丸のままのタケノコそっくりに編んだり,穂先のような形に巻く。作り方も,灰汁はナラや柿の木の灰を使う以外は,鹿児島の「あくまき」に似ています。これは,江戸時代に山形と鹿児島は北前船での取引が行われ,鹿児島のあくまきが山形に運ばれたものと推察されます。

■カツ丼

 全国各地に独白のカツ丼が存在します。山梨県のカツ丼は,揚げたてのトンカツ,刻みキャベツがどんぶりのご飯の上に乗っていて,食べるときに,自分でソースをかけます。長野県駒ヶ根市や福井市,福島県会津若松市,群馬県桐生市などには「ソースカツ丼」がある。甲府との違いは,それぞれの店独白のソースをあらかじめ絡めたトンカツが,ご飯の上に盛られている点。卵とじのカツ丼を「玉子カツ丼」「上カツ丼」 「玉カツ丼」などと呼んで,区別している地域もあります。

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「三里四方のもの食えば病知らず」という。「身土不二」という言葉もある。どちらも,土地柄と季節に合った食べ物を食べるのが健康によいという諺である。