最古の商都としての歴史をもつ大阪
◆近世国名・藩名:摂津(せっつ),河内(かわち),和泉(いずみ)
地形は,南北に長く湾曲しており,大阪湾に向かって開けた西側以外は三方を山地に囲まれている。
大阪府は33の市,9の町,1の村で構成されている。面積は約1890平方キロメートルで全国土の0.5%と都道府県で2番目に小さい。2011年9月現在の人口
8,863,280人,世帯数 3,862,544世帯。なお,大阪には全国の15.6%にあたる約21万人の外国人が居住する。
大阪府の人口は,昭和30年代から40年代にかけて高い増加率で推移してたが,50年代に入り停滞気味である。地域別にみると,人口の増加傾向は,北から南へと移っており,北側の人口増加が昭和50年代に入り増加から停滞傾向に変化してきているのに対して,南大阪地域は、相対的に高い人口増加率を示しています。
大阪の古称「難波(なにわ)」「浪速(なみはや)」。その呼び名は古く神武東征神話に始まる。地名の由来は,淀川や大和川の水が大阪湾に流れ込み,速い流れを生む場所であったことにあろう。これが,川と海をつなぐこの要衝は港として価値を見出され,地域発展の起点となった。
県民性
●合理主義,活動的,がめつい,いらち(せっかち)
日本で,最古の商都としての歴史をもつのが,大阪である。奈良時代には難波京として大和の外港の役目を果たした。平安時代には平安京の外港にもなり,中世は石山本願寺の門前町,秀吉天下の時代は堺商人を移しての城下町,といった経緯を経て,江戸時代には「天下の台所」と呼ばれ,日本一の商都としての地位を確定した。
大阪商人の処世訓は「損して得取れ」「死に金使わず生き金使え」「汚く儲けてきれいに使え」。金に細かく計算高いが,裏表がなくすべての欲求をストレートに押し出す風土。価値があれば金払いは良い。きさくで明るく話し上手で,行動力に富む。
また,大阪は進取の気性を旨とし,新しいモノ好きで,“独自性”を尊ぶという土地柄をつくりあげてきた。
大阪の人は総じてアップテンポでユーモアに富み,外向的と評価されている。反面,腰が軽く,せっかちとも揶揄される。社団法人「大阪アドバタイジングエージェンシーズ協会」が,大阪府民の生活に関する意識と行動の把握を目的に,大阪と東京で生まれ育った浪速っ子と“江戸っ子”それぞれ300人(男女各150人)を対象とした,06年10月実施のアンケート調査を実施。
それによると,電化製品の購入時に値切る大阪人は41%、東京人は26%。 時間感覚の質問では、横断歩道の信号が青になる前に渡り始める人の割合は大阪が48%で東京の36%を大きく上回り、大阪人のせっかちぶりが証明された。特に,いつも青になる前に渡る人が大阪は1割もいた。けちでせっかちとされる“浪速っ子”の実像が読み取れる。
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戦前、大阪船場では商家のおかみさんはごりょんさんと呼ばれた。店員の教育はじめ経営の鍵を握ったその実像を現存する日記から見る。 昭和初期に生きた商家の女主人の現存する日記から、当時の女将たちがどんな役割を担っていたのかを社会学者が明らかにした。
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★「天下の台所」大阪の名産品・特産品★ |
●東京・京都・大阪の違い
「 京都の着倒れ,大阪の食い倒れ,江戸の買い倒れ」。京都は着物にカネを使って,大阪は食べるモノにカネを使って,江戸は女郎買いで,身上をつぶすという意味である。
「 京都十代,東京三代,大阪一代」というたとえがある。土地の人間になりきるのには京都は十代かかるが,東京は三代大阪は一代でよいというわけだ。
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地域区分
●大阪府の地域区分
大阪府の人口は,昭和30年代から40年代にかけて高い増加率で推移してたが,50年代に入り停滞気味である。地域別にみると,人口の増加傾向は,北から南へと移っており,北側の人口増加が昭和50年代に入り増加から停滞傾向に変化してきているのに対して,南大阪地域は、相対的に高い人口増加率を示しています。
・日本で最も低い天保山
大阪市港区にある天保山。梅田から地下鉄を乗り継いで約25分,中央線の大阪港駅に到着する。ここに日本一低い山,天保山がある。天保山は港の天保山公園にある,いわば丘のようなもの。標高は4.35mの人工の山である。
天保山ができたのは江戸時代の天保年間。洪水防止と大坂への大型船入港をしやすくする目的で,1831年より2年間かけて造られた。安治川河口を広げた時に大量の土砂が生じ,それをこの場所に積み上げて人工の山とした。その頃は高さが20m位いあったようだが,大正から昭和にかけての地盤沈下で,標高が下がり、いつしか地図からこの山名が消された。
●府庁所在地−大阪市
大坂・大阪・おおさか―。この地名のいわれは、諸説があり,はっきりとしていないが,室町時代、石山本願寺を建てた蓮如上人の御文章に書かれた「攝州東成郡生玉之庄内大坂」が、
文献に残る最古のものとされている。当時の文献には大坂とも小坂 とも記され、いずれもオサカと発音されていたと思われる。
江戸時代には、大坂三郷というように大坂が多く使われており、大阪も混用されてきたが、 明治10年ごろになって、「大阪」に落ち着いたようである。
大阪の古称「難波(なにわ)」「浪速(なみはや)」。その呼び名は古く神武東征神話に始まる。地名の由来は,淀川や大和川の水が大阪湾に流れ込み,速い流れを生む場所であったことにあろう。これが,川と海をつなぐこの要衝は港として価値を見出され,地域発展の起点となった。
市職員数は,37,946人(平成23年4月1日現在で派遣職員を含んでおり、任期付職員314人を除く)。
うち、市長部局が19,421人、市会・行政委員会等が4,510人、消防局が3,423人、交通局が6,840人、水道局が1,808人、病院局が1,944人となっている。
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今の三重県は明治初期まで,安濃津(あのつ)県と度会(わたらい)県に分かれていた。1876(明治9)年4月,政府による全国規模で行われた府県の統廃合により,三重県は度会県と合併し,現在の三重県が誕生した。
しかし,度会県と合併したことにより県域が大きく広がり,県の北端から南端までは大阪−名古屋間よりも長い距離になった。ところが,県庁所在地の四日市は県の北端近くに位置している。あまりにも県庁が北に偏り過ぎているため,県政を運営していく上で支障が出てくる恐れもあった。1876年7月には津への移転が認められた。そして1876年12月に,旧津藩校有造館跡に県庁が移された。
それから130年余り,四日市は大都市名古屋の近くに立地していたということもあって,人口30万人の県下一の商工業都市に発展した。
一方の津は,他の県庁所在地のような発展はなく,人口も伸び悩んでいた。だが,平成の大合併で周辺の9市町村と合併し,人口28万人を超える県下第2の都市となった。
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┗■ 大阪府 ひったくり被害全国ワースト1
平成24年中のひったくり認知件数は,1,687件(前年比-74件)。ひったくり認知件数は、過去最多であった平成12年以降12年連続で減少している。
出典:「ひったくりの現状」:大阪府警 http://www.police.pref.osaka.jp/05bouhan/gaitohanzai/pdf/hittakuri.pdf
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大阪都構想
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┗■ 法定協議会
大阪、堺両市と大阪府を統合、再編する「大阪都構想」を議論する法定協議会が2013年9月13日、府庁で開かれた。法定協では、大阪維新の会市議が「府市再編の大きな一歩が踏み出された」と制度設計の案に賛意を示し、橋下氏は「組織再編は単なる節約効果の話ではない。戦略を実現するのに府庁と市役所がいいのか、都構想がいいのかを議論すべきだ」と都構想の意義を強調した。
8月に橋下徹市長と松井一郎府知事が、都と特別区の事務分担や財政調整制度など具体的な制度設計案の公表後、初の会合。都構想に反対する政党からは厳しい指摘が相次いだ。
▼各党の意見・指摘
公明党は,職員削減や地下鉄民営化など行政改革による歳出削減効果を最大年約1000億円とする財政試算に対し,「(地下鉄民営化など)市政改革の効果は、都構想の効果とは別物だ」と指摘。
都制移行による職員増加で、人件費が20年間で約1690億円増えると自民党党府・市議団は試算。「市を解体した方がコストがかかる」と指摘。 共産党は「都構想は絵空事。特別区間の財産の格差は39倍もある」。
民主党系市議は「都構想が実現しても、権限や財源を巡る争いは変わらない」と批判。
◆読売新聞世論調査 大阪都構想、府民の52%が賛成
読売新聞社は2103年9月5〜7日、府内の有権者を対象に世論調査を実施した。 調査は、無作為に作成した番号に電話をかける方法で実施。有権者在住が判明した2480世帯の中から1461人の有権者の回答を得た。回答率59%。
構想の賛否についは、「府と大阪、堺両市を統合再編すべきだ」が28%、「府と大阪市を統合再編すべきだ」が24%で、構想への賛成は計52%となり、「必要ない」と答えた反対の39%を上回った。
都構想への賛否は、前回調査(2012年6月)では「どちらかといえば」を含む賛成が計61%、「どちらかといえば」を含む反対が計28%だった。
橋下徹・大阪市長の支持率は58%。前回調査の72%より14ポイント下がった。
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●大阪府の大学 |
・大阪大学: (吹田市山田丘) |
◆大学・研究機関の集積
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大阪の観光スポット
真田幸村終焉の地が人気
阪堺線は、阪堺電気軌道(初代)が1911年(明治44) 12月に恵美須町〜大小路問に開業させた路線が始まりとなっている。1912年(大正元) 11月には浜寺公園までの路線が完成。1917年(大正6) に浜寺駅前〜浜寺公園間が廃止され、現在の姿となった。
恵美須町停留場は、大阪市南部の古くからの繁華街・新世界の西北端に位置し、通天閣も近い。通天閣(2代目)は1956年(昭和31) に完成した、高さ約100mの展望塔で、「塔博士」とよばれた内藤多仲(ないとう たちゆつ)が設計した。展望台は4・5階に当たり、幸運の神様「ピリケン像」が人気だ。足の裏をなでると幸運が舞い込むとして、いつも多くの人垣が周囲にできている。人気のジャンジャン横丁は、停留場とは反対の南東側に当たる。
新世界の北東に当たる安居 やすい神社(安居天満宮)は、1615年(慶長20) に徳川家康が淀君・豊臣秀頼母子の籠る大坂城を攻めた大坂夏の陣で、豊臣方の武将・真田幸村が戦死した「終焉の地」とされている。慰霊碑のそばには、2009年に建立された宰相の像がある。兜を脱いで右立膝で座る姿は、「やるべきことをやり切った後」の充実感と、敗戦の無念さの両方を感じさせる。
恵美須町停留場付近は小さな商店が点在する住宅地で、ここからの乗客はそれほど多くない。新世界の西端に沿うように阪堺線は進み、南霞町停留場でJR大阪環状線の高架をくぐる。隣接してJRの新今宮駅があり、乗り継ぎ客も少なくないことから、実質的な阪堺腺の起点として、ホームはにぎわう。
今船停留場は1980年(昭和55)に開業した停留場で、阪堺線のなかでは最も新しい。天神ノ森停留場は近くの天神ノ森天満宮に由来した名で、天満宮は応永年問(1394〜1428)、京都の北野天満宮の勧請と伝わる。東玉出停留場の手前で南海電鉄高野線をくぐると、高架上に南海電鉄の岸里玉出駅があるが阪堺側に停留場がなく、接続はしていない。
住吉交差点付近で、阪堺線は上町線と交差している。住吉停留場は、阪堺線ホームが交差点の南北に分かれ、上町線ホームは東側にある。上町線の天王寺駅前方面から、浜寺駅前方面へは渡り線が設けられていて乗り入れが可能だが、他の路線冊への移動はスムーズにできない。
大阪のホテル
高級ホテル
大阪市内には,インターコンチネンタルのほか、大阪ではザ・リッツ・カールトン大阪(北区)やセントレジスホテル大阪(中央区)などの外資系の超高級ホテルが既に開業している。
ザ・リッツ・カールトン大阪 | セントレジスホテル 大阪 | インターコンチネンタルホテル大阪 | 帝国ホテル大阪 | ホテル阪急インターナショナル | ||||||
リッツ・カールトンならではのきめ細やかなサービスは、お客様にユニークで思い出に残る、パーソナルなご体験を提供。 | 全室バトラー(執事)サービス●《最高級ブランド》2010年オープン。 | コンテンポラリーラグジュアリーな空間がお客様をお出迎え。 | 都会でありながら自然豊かな環境に建つ格調高い空間。 | 全室高層26階以上・「Serta」社製の最新型ベッド・40型以上のTV。 | ||||||
料金:10,334円〜 | 料金:13,000円〜 | 料金:12,833円〜 | 料金:6,500円〜 | 料金:6,500円〜 | ||||||
大阪市内に外資系ホテルの進出が相次ぐ。今年6月にJR大阪駅北側の複合ビル群「グランフロント大阪」(北区)に英国系高級ホテル「インターコンチネンタルホテル大阪」が開業。2014年春には,高さ日本一のビル「あべのハルカス」(阿倍野区)に、「大阪マリオット都ホテル」がオープンする。朝日新聞社も、2017年完成予定のツインタワー(北区)に高級ホテルを誘致する意向である。さながら外資系ホテルの進出ラッシュの様相である。