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風土記 − 福島の県民性    (編集中)

  
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 頑固一徹

◆近世国名・藩名:磐城(いわき),磐州(ばんしゅう

  福島県の面積は13,782平方キロメートルと,北海道,岩手県についで3番目の広さである。人口は,2011年02月1日現在2,025,461人,世帯数 721,327 世帯である。 

 1869(明治2)年、陸奥国が分割され、福島県の県域は、西側は岩代国、東側は磐城国となった。1871(明治4)年の廃藩置県によって多数の県が生まれた後、旧福島県、磐前県、若松県に統合され、1876(明治9)年に3県が合併して現在の福島県2が成立した。
  律令体制の成立の頃より、福島県の県域は陸奥国の一部であった。畿内地方と陸奥国府を結ぶ要衝として,東山道が県域を南北に縦断する形で整備され、蝦夷への備えとして白河の関が設置されたと推定される。福島は南関東と東北の接点に位置することから要所として,坂上田村麻呂や源頼朝の家来,戦国期は伊達家の牽制(けんせい)を念頭に,上杉,蒲生,丹羽など名門が中央の命令で派遣されていた。
 江戸時代に入り、県内各地に幕府直轄地のほか、会津藩、二本松藩、白河藩、相馬藩など多くの藩が存在した。これが,福島県が多極分散型の県土構造となった大きな歴史的要因と考えられる。

 福島県は南から北へつらなる阿武隈(あぶくま)高地と奥羽(おうう)山脈によって,中通り・会津・浜通りの3つの地方に分けられる。中通り地方は,日本海側と太平洋側気候の中間の気候であり,夏,山間部ではそれほど暑くはないが盆地はかなり蒸し暑い。冬は冷たい風が吹き雪が降る。日本海側気候の会津地方は,夏,山間部は涼しく,盆地は蒸し暑い。冬は豪雪で気温も低い。太平洋側気候の浜通り地方は,梅雨と秋に雨量は多く,夏は海からの風で気温上がらない。冬は,暖かく,雪はほとんど降らない。
 ⇒福島県ホームページ (http://wwwcms.pref.fukushima.jp/

 ⇒平成23年東北地方太平洋沖地震による被害状況速報
 福島原子力発電所 事故

⇒⇒ 福島県HP ⇒ 福島県総合計画 平成24年度改定について
  

  

 

   県民性


  福島県は首都圏と比較して、少ない公害や犯罪、短い通勤・通学時間、高い持ち家比率、広い住宅面積、高い三世代同居率など、安全でゆとりのある生活環境である。そして,、今なお地域コミュニティが大切にされているほか、人と人とのふれあいや支え合いの精神など、コミュニケーションが不足しがちな現代にあっても、人々の温かさやきずなが息づいている。

 福島県人というと「頑固」,そして保守的で生真面目なイメージがある。その背景は戊辰戦争での長州への遺恨にある。かつて戊辰戦争で,長州藩の意向で,会津藩士の遺体は埋葬すら許されず,白虎隊は自害を強制されたということから,福島県人は今でも長州(山口県)を許していない。明治維新以降,福島の会津若松市と山口の萩市との間で何度となく和解交渉が行わたが,いまだに和解には至っていない。こうしたことが,福島県人の「頑固」というイメージをより強めている。

 なお,幕末には会津(松平・二十八万石),平(安藤・三万百),中村(相馬・六万石),棚倉(戸田・七万石),白川(阿部・十万石),湯長谷(内藤・一万五千石,二本松(丹羽・十万石),泉(本多三万石),福島(板倉・三万石),三春(秋田・五万石)と,中藩小藩が入り組んでいた。
 加えて,奥羽山脈と阿武隈山脈により地形が東の浜通り,中央部の中通り,西の会津地方と三地域に分断されていた。こうした歴史・地勢が影響して,3地域の気質は異なり,それぞれが独立した地域という感が強い。県の左側部分の「会津」は律儀で頑固一徹だが,筋をとうし情に厚い。郡山など新幹線沿いの県央の福島市や郡山市の「中道り」は好奇心強く,都会的で柔軟な考え方が多い。太平洋岸の「浜道り」は,開放的でおおらかでさっぱりして気っぷがいい関東型に近い。

○喜多方の風土

 会津盆地の北西に位置する福島県喜多方市には,約180万人の観光客が訪れる。喜多方といえばラーメンが有名だが,今もまだ約4200棟の蔵が残る「蔵の町」としても知られ,こちらを目的に訪れる人も多い。蔵の多くは酒やしょうゆなど醸造業に使われていた。ラーメンと醸造業,どちらにもいい水が欠かせない。
 「会津盆地」は,飯豊山(いいでさん),磐梯山などの連山に囲まれ,古くから人びとが住み着いていた豊かな地域である。山々から盆地に流入した河川は,阿賀野(あがの)川とななり,山峡を縫って北西へ流れ,越後平野を横切り日本海にそそぐ。古来,越後と会津は,阿賀野川とそれに沿う街道によって強くつながっていた(現在も国道49号,磐越西線が通る)。そして,阿賀野川の水運とともに栄えてきたのが商都・喜多方である。



日本三大虚空蔵尊 


 1200年の歴史をもつ会津を代表する名刹, 福満虚空蔵尊(霊厳山・圓蔵寺)。言い伝えによれば, 唐の高僧から霊木を授かった弘法大師が 帰国後それを三つに分かち海に投げ入れたところ, 茨城,千葉そして柳津に流れ着いたといわれる。 流れ着いた霊木で大師が虚空蔵菩薩を刻み, それを受けた会津の僧・徳一大師が 圓蔵寺を開創したと伝えられる。
 このいわれから,福満虚空蔵尊は 茨城県東海村の大満虚空蔵尊, 千葉県天津小湊町の能満虚空蔵尊と共に 日本三大虚空蔵尊の一つに数えられている。

 
  

 ●郡市別人口

  

     出典:福島県ホームページ 

   地域区分と地勢・気候

 

 福島県域は,浜通り,中通り,会津の3つに区分される。浜通り地方は、阿武隈高地と太平洋に面し,気候は比較的温暖で,降雪の少ない地域である。中通り地方は、阿武隈川沿いの平地を中心として、東西を阿武隈高地と奥羽山脈に挟まれ、南北に大小の盆地が位置する地域となっている。会津地方は、奥羽山脈と越後山脈の間に位置しており、寒暖の差が大きく、山間部を中心に豪雪地帯である。
 また、本県の面積の大部分は、過疎・中山間地域5が占める。広大な森林や農地は、県土の保全や水源のかん養、土砂災害防止のため、重要な役割を果たしている。会津地方の気候は地形と海流の影響で裏日本型,浜通り地方の気候は表日本型,中通り地方は両地方の特徴をもつ中間型の気候である。
 会津地方は会津盆地と会津山間部に分かれ,山間部は寒冷豪雪地域で,交通も極めて不便である。阿武隈山系,奥羽分水山地の間の盆地,中通りは阿武隈川流域に広がる農業地帯であり,交通の便もよく,関東と東北の結節点である。


●中通り−県北 市町村(4市3町1村)
 東北自動車道、東北新幹線、山形新幹線などの利便性を有し、電気・機械・電子産業を中心に集積が進んでいる。

・福島市・二本松市・伊達市・本宮市・伊達郡(桑折町・国見町・川俣町)・安達郡(大玉村)

●中通り−県中 市町村(3市6町3村)
 東北自動車道と磐越自動車道の結節点で経済産業活動が活発な地域。

・郡山市・須賀川市・田村市・岩瀬郡(鏡石町・天栄村)・石川郡(石川町・玉川村・平田村・浅川町・古殿町)・田村郡(三春町・小野町)

●中通り−県南 市町村(1市4町4村)
 東北自動車道、東北新幹線の利便性はもとより、あぶくま高原道路により福島空港へのアクセスも良好。首都圏に隣接しているという好立地条件。
・白河市・東白川郡(棚倉町・矢祭町・塙町・鮫川村)・西白河郡(西郷村・泉崎村・中島村・矢吹町)

●浜通り 市町村(3市7町3村)
 相馬港,常磐自動車道の延長や工業用水の整備など産業基盤の整備が進む地域。
・相馬市・南相馬市・いわき市・相馬郡(新地町・飯舘村)・双葉郡(浪江町・双葉町・大熊町・富岡町・楢葉町・広野町・葛尾村・川内村)

●会津 市町村(2市11町4村)
 歴史にはぐくまれた会津若松市は、様々な土地とのつながり(ゆかり)を持つ。
 http://www.city.minamiuonuma.niigata.jp/  上杉景勝直江 兼続  南魚沼市
 http://www.city.kumamoto.kumamoto.jp/   秋月胤永         熊本市
 http://www.city.futtsu.chiba.jp/top.html   会津藩江戸湾警備地戊辰戦争・会津戦争

・会津若松市・喜多方市・南会津郡(南会津町・下郷町・檜枝岐村・只見町)・耶麻郡(北塩原村・西会津町・磐梯町・猪苗代町)・ 河沼郡(会津坂下町・湯川村・柳津町)・大沼郡(会津美里町・三島町・金山町・昭和村)

 

<国勢調査>富岡,大熊,双葉,浪江の4町で人口ゼロ    

                             出典:河北日報 2015.5.27

 福島県が25日公表の東京電力福島第1原発事故後に初めて実施された2015年国勢調査(10月1日現在)の速報値によると,県全体の人口は前回(2010)より11万5458人少ない191万3606人。少子高齢化に原発事故が拍車を掛け,減少幅は5.7%と過去最大となった。

 原発事故で全住民が避難する6町村のうち,富岡,大熊,双葉,浪江の4町は人口ゼロと算定された。ほかに全域避難の葛尾村は準備宿泊中の18人,飯舘村は特別養護老人ホームに入所する41人のみとなり,ともに98%以上減った。

 かつて全域避難した自治体のうち,ことし9月に避難指示が解除された楢葉町(976人)は87.3%減。2011年9月解除の広野町(4323人)は20.2%減にとどまった。町民の多くが避難を続けるが,廃炉作業員らが居住し,減少幅が縮まった。川内村(2021人)は28.33%の減少。

 一部地区に避難指示が出された自治体では,田村市(3万8500人)が4.8%の減少,川俣町(1万4449人)が7.0%減で,事故前の減少率と大きな差はなかった。南相馬市(5万7733人)は18.5%減少した。

 避難区域周辺では一部自治体が増加に転じた。いわき市(34万9344人)が2.1%,相馬市(3万8575人)が2.0%増え,三春町(1万8305人)と福島市(29万43788人)はともに0.6%の微増。避難者や復興事業の従事者らの受け皿となり,いわき,相馬,三春の3市町は20年ぶり,福島市は15年ぶりの人口増となった。
 男女別でみると,男性(94万4967人)が4.0%,女性(96万8639人)は7.3%それぞれ減った。平成24年10月01日現在の福島県の推計人口は 1,962,333 人

 


県庁所在地:福島市   http://www.city.fukushima.fukushima.jp/

 福島市の人口と世帯数(2011年2月1日現在)人口293,166人,世帯数114,476世帯。「反骨精神はもっと古くから伝わってきている」と指摘する。「反中央」という福島の政治風土を持つ。 中央部には信夫山(しのぶやま),東には丘陵状の阿武隈山地,西には磐梯朝日国立公園を擁する吾妻連峰を望む。

福島県の大学

 ・ 福島大学 : (
 ・会津大学 :()
 ・福島県立医科大学 :()
 ・会津大学短期大学部

  



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   地域特性

●地勢・気候

  福島県は,東北地方の一番南,東京からはおおむね200キロメートル圏内に位置する。面積は,13,782平方キロメートルで,全国では,北海道,岩手県についで3番目の広さである。福島県の森林の面積は約97万3千ヘクタールで,県全体の約7割を占める。全国で4番目の広さとなるこの広い森林を活用して,木材のほか,キノコや山菜などが生産されている。
 福島県沿岸は,南からの黒潮と北からの親潮がぶつかりあう潮目(しおめ)になっていることから良い漁場にめぐまれ,カツオやタコ、ヒラメなど100種類を超える魚介類が水揚げされている。いわき市周辺では、サンマやカツオ、マグロなどをとる沖合漁業が、相双地方では、ヒラメやカレイなどをとる沿岸漁業がさかんに行われている。 

●会津

  喜多方市の水源である栂峰渓流。栂峰渓流の水は日中ダムへと流れ込み,喜多方の水道水となる。
 喜多方市には現在,約110軒のラーメン店がある。最近は味が多様化したが,基本はあっさりしたしょうゆ味。そのワケは,「水がいいから,よけいな味を加えなくて済む」ことにあるという。
 古くからの醸造業は,豊富な地下水を利用して発展してきた。今も地下水を使う酒蔵が多い。現在は見学施設となっている大和川酒造店の古い酒蔵の前にも地下水が流れており,さまざまな人が水をくみに来る。

 地下水は喜多方に住む人の暮らしを昔から支えてきた。路地を歩くと,家と家を結ぶように流れる堀が見つかる。これは「中堀」。屋敷の中を流れ,台所用水として使われていた。 喜多方市には,現在も地下水を生活用水として利用している家庭が少なくない。水道用とは別に,地下水用の蛇口があるそうだ。この冬,会津地方は記録的な豪雪に見舞われた。このときには地下水が道路の消雪水として使われた。地下水は生活に欠かせない存在になっている。

 「会津の津という字は,水が集まる様子から生まれた」という。


   福島の観光スポット




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 白河小峰城
 白河(福島県)といえば、 「これよりみちのく」という、奥州への入り口に位置し、古代には日本三古関の1つ白河関が置かれていた。
 この地に丹羽長重(にね・ながしげ)が徳川幕府に命じられて、寛永4(1627)年、以前からあった城改修も、川万石の居城にふさわしい城郭として築城したのが白河小峰城である。ちなみに長重は、安土城の総普請奉行で蔽草城および信長再築大坂城の普請奉行をも務めた名築城家侃丹羽長秀(ながひで)の嫡流。
 白河小峰城は東北では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城(岩手県盛岡市)、鶴ヶ城(福島県会津若松市)とともに東北三名城の1つにも数えられている。
 現在も残る石垣はこのときの築城のもので、本丸の石垣は、高さといい、曲線といい、東北屈指の美しい姿を見せている。石垣の組み方は基本的には打ち込みはぎで、加工した石をランダムに積んでいく技法なのだが、一部には同心円状に石を組んだ部分がある。ほかの城郭ではなかなか見られない独特の石組みとなっている。
丹羽氏は寛永20(1643)年、二本松(福島県二本松市)に転封となる。その後は白河小峰城には明治維新まで徳川譜代・親藩の大名が次々と入城を繰り返し、江戸の北面を守る奥州の開門という位置づけの城となる。
 慶応4(1868)年、白河小峰城は戊辰戦争奥羽越列藩(おううえつれっぱん)同盟と官軍の激戦地となり、御三階櫓(天守に相当)などを焼失し落城した。
 城跡には郭・土塁・石垣水城を残すのみだったが、平成3(1991)年、本丸跡に発掘調査と絵図などをもとにして,木造による伝統工法で御三階櫓が、平成6年には前御門が復元され、「平成の城復元ブーム」の先駆けとなる。
 現在、東日本大震災により石垣などが崩壊したため、御三階櫓も含め本丸は立ち入り禁止となっている。





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