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宮城県の県民性    (編集中)

  
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 好奇心旺盛で個人主義,ドライな面も

◆近世国名・陸前(りくぜん)

 宮城県がまとめた2010年8月1日現在の推計人口は,233 万7358 人(男子113 万3602 人,女子120 万3756 人)で,前月比較で114 人の減少,前年同月比較で2423 人の減少である。
 明治の廃藩置県で仙台県(翌年宮城県に改称)が誕生した。夏は酷暑が少なく,冬は比較的温暖で降雪量は少ない。農業・漁業が盛んである。
 宮城県は,かつては青森・岩手・福島の3県を含む陸奥国として統治されていた。現在の多賀城市にその国府が置かれたのは,724年のこと。八幡太郎義家,大伴家持,坂上田村麻呂らが赴任したとも伝えられている。

 県内では弥生文化の遺跡が多数発見され,紀元三世紀までに広範囲な開拓が行なわれていたことが証明されている。奈良時代には,坂上田村麻呂の遠征,多賀城,陸奥国府,鎮守府と中央政府の出先機関が置かれた。
 芭蕉が『奥の細道』の中に「苔をうがちて文字かすかなり」と記している天平勝宝6年(754年)の多賀城碑(重の碑)も残っている。

 独眼竜の異名で知られる伊達政宗【慶長五年(1600年)】が台頭したのは戦国時代。山形の米沢,福島の会津などを所領して奥州にその名をとどろかせ,他を圧する武力と知力をもって江戸期には陸奥国内60万石,常陸1万石,近江に1万石の合計62万石の大大名として繁栄を見せた。

 

白石城  


 白石城は慶長7(1602年)に、伊達政宗の右腕で「鬼の小十郎」と呼ばれた片倉小十部が入城してから約260年、10代にわたり片倉氏の居城となる。仙台藩の南の関門としての役割を担う重要な拠点でもあった。
 徳川幕府は「一国一城令」によって、諸藩が複数の城を持つことを禁止したが、熊本藩の八代城などと並んで、白石城は例外扱いとされ、明治維新まで存続する。
 慶応4(1868)年の鳥羽・伏見の戦いに端を発した戊辰戦争は、倒幕による近代国家建設を目指す新政府軍と、徳川幕府から朝廷への平和的な政局転換を唱えた奥羽越列藩同盟との戦いであった。
 この同盟は、仙台藩の伊達慶邦(よしくに)の呼びかけに応じて、奥羽25藩と北越6藩が同盟を結び、藩という単位を超えて「1つの東北」という政治的単位を具体化した点で画期的な出来事であり、同盟締結の会議の舞台となったのがこの白石城であった。
 しかし、同年の5月に上野戦争で彰義(しょうぎ)隊が新政府軍に敗れ、7月には長岡城(新潟県長岡市)が、9月には鶴ヶ城(福島県会津若松市)と二本松城(同県一本松市)が落城すると、仙台藩は降伏し、白石城は新政府軍に接収されることになる。
 新政府の下でも、東北監視のための「三陸両羽磐城按察使府」が置かれるほど、白石城はみちのくの重要拠点として位置づけられていた。
 明治7(1874)年に民間に払い下げられると、城は解体され大手門の土台石や石垣の一部だけが残り、本丸と二ノ丸跡は益岡公園として市民の憩いの場所となる。
 平成7(1995)年、市民の強い要望で、天守(3階櫓)が再建された。伝統工法による日本古来の建築様式に基づき、全国的にも数少ない木造による復元が採用され、学術的にも高い評価を得ている。

 【所在地】宮城県白石市西益岡町6の52
 【城地の種類】平山城
 【交通アクセス】JR東北本線「白石」駅から徒歩10分。

   県民性


  好奇心旺盛で個人主義,ドライな面も。
 江戸中期に仙台平野で米作が成功し,寒冷地産米が江戸に運ばれるようになったことから,経済的にもめぐまれたことが,宮城県人は,九州人に並ぶ,社交性を持つというゆえんであろう。
 これは,家計調査にみる酒の消費量の多さからもうかがわれる。また,山形県とともに宮城県でもよく芋煮会が行われるが,宮城県人は,山形のしょうゆ味の芋煮は邪道,仙台みそを使った宮城の芋煮こそが本道ともいう。
 宮城県では命日,盆,彼岸などの祖先の祭りがさかんであるが,これはそこに農村特有の気質,慣習が根強く残っていることを物語る。
 なお,仙台の町なみは都会的で,東京の最新のファッションがそこにみられる。これは,伊達政宗の派手好きをうけついだ伊達モノ−−仙台藩士−−−の気風を今に受け継ぐものだという。

●仙台,水戸,名古屋は日本の3大不美人の産地?

 仙台,水戸,名古屋は3大ブスの産地だそうだ。誰が,いつ頃から言い出したのか,それが真実なのかどうかは定かではないが,まことしやかに言いつたえられている。
 仙台藩主・伊達政宗が美人は国を滅ぼすと追放したから,仙台に美人がいなくなったという説もある。だが,政宗の記録,文献を見ても美人追放というのは一切ないという。根拠となるものはない。

●みやぎの認証品目 〜凍り豆腐〜

“凍り(こおり)豆腐”は,その名の通り豆腐を凍らせ,乾燥させたものです。古来,全国各地で作られ,凍み(しみ)豆腐,高野豆腐,連豆腐などの名称で愛されてきた。
 「みやぎの凍り豆腐」は昔ながらの製法にこだわり,早朝の豆腐作り,凍結・熟成,乾燥作業は,厳寒期に行われる。宮城県産大豆「ミヤギシロメ」を原料に,添加物を使用しない「みやぎの凍り豆腐」は,適度な弾力と味しみの良さ,豊かな風味が特徴である。煮しめや仙台雑煮にも欠かせない伝統食材であるが,天ぷらやすき焼き,サラダにも合う。

●宮城の方言

 『ゴジャッペ』 ⇒バカ
 『からこび』  ⇒げんこつ 
 『じぇに』   ⇒お金

●宮城の小京都

村田町(宮城の小京都): 古くから山形と仙台を結ぶ街道の商都。商家の屋敷,蔵が立ち並ぶ。

岩出山町(いわでやままち): 伊達な小京都 城下町,有備館,内川遊歩道。

●ベスト&ワースト−ランキング

 宮城県は埼玉県などと並び最も男女別学の高校が多い県の一つである。仙台でも,戦後男女共学高校が増えたが,男子なら仙台一高,二高,女子は宮城一女,二女といった別学の「ナンバースクール」が依然中心だ。

 00年の水陸稲収穫量では45万8千トンと全国4位であるが,「ササニシキ」や「ひとめぼれ」を開発した日本有数の米の産地である。

養殖ぎんざけ収穫量 (01年) 11,572t 1位
養殖ほや類収穫量 (01年) 7,309t 1位
水産加工品(ねり製品)生産量 (01年) 77,702t 1位
海面漁業・養殖業生産量 (01年) 440,856t 2位
かれい類漁獲量 (01年) 4,640t 2位
養殖かき類収穫量 (01年) 56,274t 2位
養殖わかめ類収穫量 (01年) 12,807t 2位
水稲収穫量 (01年) 428,300t 5位

・松島−日本三景の一つ
 名勝,松島は湾内に260余の小島が浮かぶ,日本三景の一つ。


    

   地域区分




         

区  分

市   町    村

        出典:

県庁所在地:仙台市

  

  仙台市は,東北唯一の政令指定都市。伊達政宗ゆかりの地としても知られます。名所や旧跡,レジャー施設も多く,観光地としても人気の都市です。17 世紀に戦国大名の伊達政宗が青葉山の上に築いた仙台城の遺構から,市内を一望できます。また敷地内には,青葉城資料展示館が併設されています。
 東日本大震災で甚大な被害を受けた地域でもありますが,ピッチで復興が進んでいます。「震災の起こった平成23年には1,621万人にまで落ち込んだ観光客入込数も,平成27年には2,229万人になっています。
 
 仙台市は東北地方における経済や行政の中枢都市であることから,,日立製作所や富士通など,大手企業の東北支社が設置されています。

 また,仙台市は東北大学を中心に,多様な教育機関が集積する「学都」でもあります。「データ仙台2017」によれば2016年5月1日時点で学校数は427,在学者数は200,014人。本務教員数は14,766人。

 人口に対する学生の割合も多く,「仙台市まち・ひと・しごと創生総合戦略(人口ビジョン及び総合戦略)」によれば,人口1,000当たりの学生数は68.3人で,指定都市の中では京都市(106.1人),福岡市(73.6人)に続いて3番目に多い結果に。市が掲げる「学都仙台」の名に恥じない結果となっています。

・成長神話の終焉 仙台市人口減へ
   仙台市の人口,初の自然減 2017年人口動態統計−−戦後の混乱期除き初めて−−

 仙台市 https://www.city.sendai.jp/ の人口動態統計によると2017年の出生数が死亡数を96人下回り,戦後の混乱期を除いて初めて「自然減」に転じた。なお,住民基本台帳によると,17年の出生数は8729人(前年比283人減)で死亡数は8825人(197人増)だった。
 市の自然増減の推移は1926年以降で,自然減になったのは第2次世界大戦直後の45〜46年のみ。この50年間の出生数は,第2次ベビーブーム(1971〜74年)の73年をピークに,増減を繰り返しながら緩やかな減少基調にあった。一方,亡くなる人は増え続け,65歳以上の高齢者の割合は9割近くに上っている。
 市内各区別では,自然増減は宮城野(408人増),若林(79人増),太白(132人減),青葉(224人減),泉(227人減)である。泉区は高齢化が急速に進む郊外住宅地を抱えることが,自然減の背景にあるとみられる。

 一方,転入から転出数を差し引いた17年の「社会増減」は,2124人のプラス。自然減の96人をカバーし,人口全体では2028人増である。社会増は震災による避難者の流入や復興事業の従事者の増加で一時期は1万人弱だったが,復興の進展に伴い,年々減少している。

 国勢調査に基づく17年の仙台市推計人口は108万6377人。市は20年ごろをピークに人口減少局面に入ると予想する。加速する少子高齢化とともに,産業,福祉など幅広い分野に大きな影響を及ぼすのは必至である

 東北6県で人口減少が進む中,仙台市は東日本大震災からの復興などに伴う転入者が多く,人口が僅かながら増えてきた。その100万都市が自然減の局面に突入したことで,東北全体の人口減少は一段と加速すると予測される。


人口の推移

世帯数 人 口 前年に対する人口の増・減(Δ) 一世帯当たり人員 人口密度
(1q2当り)
総数
昭和 30 (1955) 78,636 375,844 185,349 190,495 10,731 4.8 1,996
35 (1960) 102,798 425,272 209,960 215,312 18,156 4.1 1,796
40 (1965) 129,275 480,925 237,675 243,250 △ 5,473 3.7 2,031
45 (1970) 163,301 545,065 270,298 274,767 21,821 3.3 2,301
50 (1975) 200,455 615,473 305,172 310,301 18,278 3.1 2,596
55 (1980) 236,638 664,868 330,698 334,170 9,759 2.8 2,805
60 (1985) 255,739 700,254 349,009 351,245 5,465 2.7 2,954
平成 (1989) 330,759 910,279 451,114 459,165 12,778 2.8 1,155
2 (1990) 340,904 918,398 454,954 463,444 8,119 2.7 1,165
7 (1995) 387,292 971,297 480,684 490,613 12,592 2.5 1,233
12 (2000) 421,182 1,008,130 496,270 511,860 5,729 2.4 1,279
17 (2005) 439,579 1,025,098 500,597 524,501 △ 616 2.3 1,301
22 (2010) 465,260 1,045,986 507,833 538,153 12,471 2.2 1,327
27 (2015) 498,953 1,082,159 527,170 554,989 8,917 2.2 1,376
28 (2016) 504,087 1,084,674 528,369 556,305 2,515 2.2 1,379



仙台市総合計画

総合計画は、21世紀半ばに向けて仙台が目指す都市の姿を示した「基本構想」と、それを推進するための長期的な目標を掲げる「基本計画」及び中間計画である「実施計画」の3つで構成される市政運営全般にわたる計画です。
総合計画では、時代が大きな転換期を迎えている中、さまざまな困難を乗り越え、未来に希望をつなぐために、多くの知恵と力を集め、誰もが心豊かに暮らし続けることができる「ひとが輝く杜の都」の実現をめざしています。



 








 仙台市で住宅地などの限界集落化が急速に進んでいる

 河北新報社のまとめでは,65歳以上の高齢者が50%を超える「限界集落」と40%以上の「予備軍」は計10地区,30%台は44地区に上る。農村部に加え,造成から30年以上のニュータウンで高齢化が目立つ。老齢化に伴う地域コミュニティーの衰退は,政令市・仙台にとっても深刻な課題に浮上している。(特に,鶴ケ谷など新興住宅団地は深刻な高齢化が進む。無秩序に広がった北部,西部の住宅地は人口の伸び悩みに直面。衰退する農漁村部には「限界集落」となった地域も目に付く。

  仙台市は既に,まちづくりの方向性を市街地の拡大から,「機能集約型都市」「コンパクトシティー」に転換している。とはいえ,市街地が拡散,スプロール化した現状で中心部に人,モノを移すことができるのか。外縁部に取り残された地域,そこに住む人々の暮らしはどうするのか。機能集約型都市の実現には,容易ならざる課題が待ち受ける。


被災者とともに歩む東北の新聞、河北新報1ヵ月の主要紙面。私たちが暮らす美しい沿岸地域を巨大な津波が襲った。さらには、福島第一原発の危機的な事故。困難に立ち向かう人々とともにあることを意識した取材、報道をこの一冊に集成した。 仙台に本社を置く河北新報の東日本大震災の写真集。独自の写真が大半で貴重である。なお,3月12日、13日、14日の一面記事が再録されている。
震災直後殉職を覚悟して 津波に立ち向かって行った石巻署員は いまは人の心の闇と向き合っていた。

問題は天災だけではない。 集団心理の恐怖、未成年への影響、 飲酒運転・諍いの激増、仮設住宅での事件、 ボランティア同士のトラブル――。

これまでほとんど報じられなかった 警察が直面した被災地の現実を描く 衝撃のドキュメンタリー。

   地域特性

●地勢・気候

  宮城県は東北地方の南東部に位置し,東京から宮城県の中心までの距離は約350kmである。東は太平洋に面し,豊かな漁場と日本三景の一つ松島をはじめとする風光明媚な観光地などに恵まれており,西は秋田・山形の両県に,南は福島,北は岩手県にそれぞれ隣接している。
 また,西には蔵王・船形・栗駒などの山々が連なり四季折々の姿を見せ,中央部には有数の穀倉地,仙台平野が広がる。このように海・山・川・平野が調和した自然環境が,豊かで暮らしやすい宮城県をつくりだしている。気候は太平洋気候帯に属しており,東北地方の中では冬も温暖で積雪量も少ない地域である。

●「宮城県沿岸部が2万4千人減少」

  

 宮城県石巻市や気仙沼市など同県沿岸部15市町の人口が,東日本大震災後に約2万4千人減少したことが,県の市町村別推計人口調査などで分かった。震災による死者・行方不明者を除いても1万人以上が県の内陸部や県外に転出したことになる。
 15市町の人口は震災前の3月1日時点で170万8458人だったが,7月1日時点で168万4447人になった。8月8日現在,15市町の震災による死者は9280人で,行方不明者は2417人。住民票を変更せずに避難生活を送る人も多く,沿岸部から転出を余儀なくされた人は,さらに多いとみられる。

 推計人口は昨年の国勢調査の人口を基に,住民票などの届け出により出生や死亡,転出入を算出する。宮城県は市町村別の数字も毎月公表していたが,震災の影響で4月以降の更新が遅れていた。




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 一枚の白い紙から生み出される、華やかで変化に富む「伝承切り紙」。岩手、宮城両県の三陸沿岸、内陸の北上、栗駒に伝わる“オカザリ”と呼ばれる東北独特の「正月飾り」を紹介。  この本でいう「切り紙」とは,神域でみかける「御幣(ごへい)」や「紙垂(しで)」、つまり聖なる場を示す、白い紙を切って作らた印を指す。東北地方には、立体的な「網飾り」と呼ばれる正月飾りや、縁起物を切り抜く「切り透かし」といった複雑な伝承切り紙が数多く,いまに伝えられている。  その作り手は神職で、氏子に授与するために修練を重ねている。著者は神社を訪ね歩き、1枚の紙から複雑な造形を切り出す手仕事について聞き、質感や陰影をとらえた写真とともに、豊かな世界観を紙上に再現する。

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