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風土記 -三重の県民性    (編集中)

  
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 歴史とロマンに満ちる地

◆近世国名・藩名:伊賀(いが),伊勢(いせ),志摩(しま)

 お伊勢まいりや熊野古道はじめ、江戸時代より東海道の宿場町として栄えた趣ある街々など、三重の魅力はどこか「旅」に結びつく。

 三重県は、日本列島のほぼ中央、太平洋側に位置し、東西約80km、南北約170km と南北に細長い形である。県の中央を流れる櫛田川に沿った中央構造線によって、大きく北側の内帯地域と南側の外帯地域に分けられる。

 内帯地域は東に伊勢湾を望み、北西には養老、鈴鹿、笠置、布引等の700~800m 級の山地・山脈が連なっている。
 一方、外帯地域の東部はリアス式海岸の志摩半島から熊野灘に沿って南下、紀伊半島東部を形成し、西部には県内最高峰1,695m の日出ケ岳を中心に紀伊山地が形成されている。

 08(平成20)年10 月1 日現在の総人口は186 万9,669人(男91 万1,035 人 女95 万8,634 人)である。
 県下,それぞれの都市が街道沿いに宿場町,門前町,城下町,港町などとして発展してきたという歴史上の経緯から,都市が分散して成立している。現在も各都市が,商業都市,工業都市,観光都市などの特色をもち,役割分担する分散型の県土構造となっている。伊勢志摩国立公園は,年間1,000万人を超える観光客が訪れる全国でも有数の観光地である。

 三重県は,全国に比べ製造業の比率が高く,1事業所当たり及び従業員1人当たりの製造品出荷額等は全国の上位にある。 業種別では,石油化学工業関連の基礎素材から,輸送用機械,電気機械などの加工組立型へとシフトしている

  

 平成22年10月1日現在の総人口は185万4,742人で、前回の国勢調査(平成17年)に比べ12,221人(0.7%)減少した。また、総世帯数は70万3,704世帯で、前回調査に比べ2万8,245世帯(4.2%)増加した。国勢調査結果による三重県の人口の推移を見ると、人口が減少したのは、昭和35年調査(0.04%減)以来のことである。

   県民性


①名古屋,大阪といった大都市の中間にあり,東西文化,経済の結節点としての役割を果たしてきたという歴史的経緯,②温暖で穏やかな気候で農業も漁業もあまり苦労なしにできた,③三重,奈良,和歌山の三県にまたがり,神話の時代から神々が鎮座する地域として敬われていた紀伊山地は,阿弥陀仏や観音菩薩の「浄土」とも見立てられ,山岳修行の場となった。こうしたことから,紀伊山地には,「吉野・大峯」,「熊野三山」,「高野山」の三つの「山岳霊場」とそこに至る「参詣道」が生まれ,全国から人々の訪れ,日本の宗教・文化の発展と交流に大きな影響を及ぼした。 
 こうした歴史と穏やかな気候などを背景として,争いごとを好まない温厚な県民性が育まれた。

●三重の方言


 


   地域区分


 西方を山に囲まれ,地勢は吉野川により南北に二分され,北が丘陵地と奈良盆地,南は大山岳地帯となっている。 西78.6km、南北103.4kmと南北に長めの長方形の県である。

   
◇伊勢・志摩島・鳥羽
◇津・鈴鹿・四日市・桑名
◇伊賀・名張
◇松坂・大台
◇熊野・尾鷲

            





●県庁所在地-津市

 旧津市、旧久居市、旧河芸町、旧芸濃町、旧美里村、旧安濃町、旧香良洲町、旧一志町、旧白山町、旧美杉村の10市町村は平成18年1月1日に合併して新「津市」としてスタートした。
 
・世帯数 121,198世帯(平成23年3月31日現在)
  人口 288,674人
  男 139,942人
  女 148,732人
•市の面積  710.81平方キロメートル

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 今の三重県は明治初期まで,安濃津(あのつ)県と度会(わたらい)県に分かれていた。1876(明治9)年4月,政府による全国規模で行われた府県の統廃合により,三重県は度会県と合併し,現在の三重県が誕生した。

 しかし,度会県と合併したことにより県域が大きく広がり,県の北端から南端までは大阪-名古屋間よりも長い距離になった。ところが,県庁所在地の四日市は県の北端近くに位置している。あまりにも県庁が北に偏り過ぎているため,県政を運営していく上で支障が出てくる恐れもあった。1876年7月には津への移転が認められた。そして1876年12月に,旧津藩校有造館跡に県庁が移された。

 それから130年余り,四日市は大都市名古屋の近くに立地していたということもあって,人口30万人の県下一の商工業都市に発展した。
 一方の津は,他の県庁所在地のような発展はなく,人口も伸び悩んでいた。だが,平成の大合併で周辺の9市町村と合併し,人口28万人を超える県下第2の都市となった。







   伊勢平氏発祥の地


 忠盛塚は,津(安濃津)と伊賀を結ぶ道路沿いの公園の一角にある。平清盛の父、忠盛が生まれた時に、その胞衣(えな・胎盤)が埋められた場所といわれる。

 小高い盛り土の上に立つ大きな木が塚の存在を際立たせる。傍らには伊勢平氏発祥の伝説地を示す石柱と石碑が建つ。伝承地の域は出ないが、この後に清盛によって隆盛を築く伊勢平氏と安濃津の強いつながりを感じさせている。

 忠盛は白河法皇、鳥羽上皇の信任も厚く、僧兵の鎮圧や海賊征伐などにも実績を上げ、トントン拍子で出世し、武士として初めて昇殿が許されている。

名称:忠盛塚(ただもりづか)
所在地:三重県津市産品
アクセス:忠盛塚へは近鉄津新町駅から平木方面行きバスに乗車、忠盛塚下車。または伊勢自動車道津インターから10分。



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