武家の古都・鎌倉
◆近世国名・藩名:相模(さがみ),武蔵(むさし)
富士山とともに2013年の世界遺産登録に推薦されている《武家の古都・鎌倉》は,中世武家政権の中枢であり,明治期以降も保養地として栄え,いまは東京まで1時間の通勤圏であると同時に年間2000万人近くが訪れる観光都市でもある。
「町全体が切通ではないか」と鎌倉在住の宮田一雄は書く。三方を山に囲まれ,南は海に面した鎌倉にはかつて,切通の山道を抜けなければ,陸路で入ることができなかった。いま鎌倉の町を歩いていると,その切通の両側の地層を見るように,長い時間の蓄積が伝わってくるからだ。
横浜に住む渡辺照明は,週末になると鎌倉を訪れ,その多彩な町の現在を撮り続けている。本書は2008年から続くSANKEI EXPRESS(略称EX)の好評連載「湘南の風 古都の波」から選りすぐった写真と文章で,鎌倉の魅力を紹介。露座の大仏は月の光を浴び,成就院石段のアジサイは海に注ぎ込むように咲く。ふだんは見られない夜の光景を目にすると,疲れた心がほぐれていくようだ。
夕暮れの鎌倉の海の向こうにこうに江の島と富士山が浮かび上がり,江ノ電は神社の境内や海岸線をがたごとと走る。
鎌倉の本
『【送料無料】春夏秋冬鎌倉めぐり』
「SANKEI EXPRESS」に連載の「湘南の風 古都の波」から選んだ写真と文章で,鎌倉の魅力を紹介。武家政権の中心地として築かれた文化遺産,近代日本のレトロモダンな建築の数々,そして美しき自然に彩られた都市,鎌倉。その魅力を四年にわたって伝えてきた長期連載「湘南の風 古都の波」から,とくに素晴らしい写真と文章を選りすぐり,五章に再構成。
露座の大仏は月の光を浴び,成就院石段のアジサイは海に注ぎ込むように咲く。ふだんは見なれない夜の光景を目にすると,疲れた心がほぐれていくようだ。
鎌倉の表情は年ごとに異なる。その変化を現在進行形でとらえた映像は,一つの時代の記録でもある。
▼宮田一雄(ミヤタカズオ)
産経新聞ニューヨーク支局長,編集長などを経て,2009年,産経新聞特別記者編集委員兼論説委員。鎌倉観光文化検定2級
▼渡辺照明(ワタナベテルアキ)
1983年に産経新聞入社,産経新聞写真部長などを経て,2009年に産経新聞写真報道局長。1993年に国内のラムサール条約締結地をルポした企画取材で日本新聞協会賞を受賞。2007年11月から鎌倉をテーマに撮影を始める。
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地域区分
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●県庁所在地:横浜市(http:// )
平成23年3月1日現在 人口 253,923人 世帯数 96,770世帯
横浜市は,1859(安政6)年の開港以来,貿易港・西洋文明の窓口として発展した。 横浜市は,14の政令指定都市のひとつであり,人口約360万人,世帯数は150万世帯,人口最大区は港北区で31万6千人,最小区は西区で8万5千人である。なお,世界の主要都市との比較では,南京(2000年:362万人),アンカラ(02年:366万人),釜山(00年:366万人)などと同規模である。
横浜市の産業構造の特徴を,市内総生産の産業ごとの特化係数を基準に,12の政令指定都市平均と比較すると,横浜市の産業は,
製造業や建設業といった第2次産業に強く,卸売・小売業や金融・保険業といった第3次産業が弱い。
横浜市は,人口規模で大阪市の1.34倍であるが,第3次産業は大阪市の54%の規模にとどまる。
横浜は,1859(安政6)年の開港以来,貿易港・西洋文明の窓口として発展してきた。
ランドマークタワーをシンボルとし,レンガ倉庫など異国情緒漂う建物が郷愁を誘う街である。
開発が進むみなとみらい21エリアには,新名所が誕生し,流行を発信している。夜ともなればベイブリッジが鮮やかにライトアップされ,中華街や氷川丸の停泊する山下通り界隈は人波で溢れる。
■面積 434.98km2 〈2007(平成19)3.1〉
■人口 3,607,125人 〈2007(平成19)3.1〉
■世帯数 1,509,031世帯〈2007(平成19)3.1〉
■市内総生産 12兆6,814億円〈2003(平成15)〉
■1人あたり市民所得 320万6,000円〈2003(平成15)〉
●photo 横浜市:みなとみらい
地域特性
●地勢・気候
豊富な観光資源で入込需要もトップ
神奈川県には,豊富な観光資源があることから県外から自動車等で移動してくる人口も多い。観光入込客数は全国で第1位。経年的にも増加傾向にある。観光資源の種類も豊富であり,都市型(横浜・川崎),海洋性(湘南・三浦),山地系(箱根・丹沢)といった周遊パターンがある。
●川崎市
第二次大戦で戦災をうけた川崎市は,戦後,工業都市として復興した。湾岸部には大規模な石油化学コンビナートが形成され,内陸部は東京のベッドタウンとして急速に開発が進む。昭和47年(1972)には政令指定都市となって,川崎・幸・中原・高津・多摩の5区が設けられ,翌年には人口100万人を突破した。1982(昭和57)年には高津・多摩の両区の人口増加にともなって分区が行われ,宮前・麻生の両区が誕生,7区時代を迎えた。現在,人口129万人を超えた。
川崎の地名は,『日本書紀』。安閑(あんかん)天皇元年(534)に4つの屯倉(みやけ)を置くという記述があり,その中に橘花(現在の幸区小倉・南加瀬・北加瀬,中原区住吉付近)の名がある。律令制下の市域は,武蔵国橘樹郡を中心に北西部(多摩区西部)は多磨郡,南西部(麻生区)は都筑郡,南東部(川崎区の一部)は荏原郡に属していた。
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