*

なるほど愛媛 − 県民性    (編集中)

  
    HOME > なるほど愛媛index > 愛媛の県民性

 独自の歴史と文化,伝統を築き上げる

  ◆近世国名・藩名:伊予(いよ)
 

  愛媛県は、四国の北西に位置し、北側には瀬戸内海に面した平野が広がり、南側には西日本で最も高い石鎚山(1,982m)がそびえています。瀬戸内海・宇和海には200余りの島々があり、海・山両方の美しい自然に恵まれています。

 気候はおだやかで、人口は約140.6万人(全国26位)、面積は5,678平方キロメートル(全国25位)、入り組んだ海岸は 全国5番目の長さ(1,695km)です。また、国宝・重要文化財の多い大山(おおやまづみ)神社、村上水軍、松山城、道後温泉、内子町をはじめとする南予の古い町並みなど多くの歴史と伝統ある文化が今に伝えられています。


 「愛媛」という県名は、古事記の国生みの神話にでてくる「愛比売(えひめ)」にちなんでいます。

 幕末まで、愛媛県には「伊予八藩」がありましたが、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で、「八藩」がそのまま「伊予八県」となりました。


(2013年7月1日現在推計人口)
・総人口 1,406,497 人
・男 661,602 人
・女 661,602 人
・総世帯数 597,472 世帯

⇒⇒  主な指標から見たふるさと愛媛の身の丈
 



   県民性


 

  「思いがけないお金が手に入ったらそれぞれどうするか」とした,四国4県の県民性のたとえがあります。「これを元手にして何倍かに増やそうとする」のが商売上手の愛媛県民。無頓着に「そのまま何かに使う」香川県民,質素倹約を旨とする徳島の人々は「がっちり貯金する」,そして,「それにいくらか足して酒を飲む」高知県民と,いうのです。

 瀬戸内海に接する愛媛の人々は,伊予水軍の歴史的伝統を受け継ぎ,進取の気性を発揮して,積極的に海運業と海上交通を支えてきました。そして,自然に恵まれ,天災も少ない土地柄であることを反映して,温和,人情味に富む。その裏返しが,マイペースな「のんびり屋」,楽天的といった気質。なお,夏目漱石の『坊ちゃん』の赤シャツのイメージが今でも残るのか,愛媛の人は見栄っ張りともいわれます。

 愛媛県は,東予,中予,南予の三つの地域に大別されます。それぞれの地域の成り立ちの異なりが,“三予人気質”ともいわれるそれぞれの独自性を育んできました。
 東予(四国中央市・新居浜市・西条市・今治市・越智郡上島町)は,関西に近いことから,古くから関西と経済交流が歴史的に営まれてきました。この影響を受け,すばしっこく,利にさとく,時代の流れに敏感であり,商才にたけた活動型。中予(松山中心・松山市,伊予市,東温市,上浮穴郡,伊予郡)は学究肌・文人肌で気質は温和,やんわりとした人当たりで,争いを好まないとされます。南予(宇和島・八幡浜など)は,盆地で農業を基盤としています。土佐と接し,九州との交流が濃いこの地方は,穏やかな気候もあって,陽気・豪放な南国的気風は定評のあるところです。



●巳正月

 その年亡くなった人の正月,巳正月とも呼ばれ,「みんま」は,愛媛独特の慣習です。12月の第1巳の日または,第2巳の日に近親者が集まり,お正月のようなことを行います。また,東予地方では,辰の日に行われるため「辰巳」とも呼ばれています。この行事の由来に関しては,諸説ありますが,有力な説としては,戦国時代,高縄半島を中心に勇猛を誇った武将たちの出陣の祈りで,生きて祝えないかもしれない正月を一足早く12月の巳の日に祝ったという説や,秀吉の朝鮮出兵の帰途,高浜町の海岸で,戦死した兵士を弔うために餅をつき,それを朝鮮に向けて供え,後で皆が竹に餅をさして食べた慣習が残ったのだという2つの説があります。

●伊予の小京都

おおずし:城下町,商家,蔵屋敷, 全国京都会議加盟



  

   地域区分





中予: 松山市 伊予市 東温市 久万高原町 松前町 砥部町
南予: 宇和島市,八幡浜市,大洲市,西予市,内子町,伊方町 ,松野町,鬼北町 ,愛南町
東予:上島町,今治市,西条市,新居浜市,四国中央市


●県庁所在地-松山市

  

 かつて松平十五万石の城下町として栄えた松山市。市内には3000年の歴史を持つ名湯・道後温泉があり、夏目漱石をはじめとする多くの文人墨客が訪れていることでも有名です。「チンチン電車」の愛称で親しまれるレトロな路面電車も市民の足として活躍しています。

  松山市は、愛媛県の中央部、松山平野にあり、東は西日本の最高峰石鎚山を擁する四国山地を背景とし、西は波静かな国立公園瀬戸内海が望めます。
 松山の名は、1603(慶長8)年加藤嘉明が築城した松山城にちなみ、名付けられたと言われています。
 明治6年愛媛県庁が設置され、県都となり、明治22年12月15日市制を施行以来、政治・経済の中心都市として成長し、また、俳人正岡子規をはじめ、多くの文人を輩出するなど地方文化の拠点としての役割を果たしてきました。
 1945(昭和20)年、市街地の大部分を戦災により焼失しましたが、今日では総合的な都市機能を備え、2000(平成12)年4月には中核市へと移行し、2005(平成17)年1月には北条市・中島町と合併し四国初の50万都市となりました。
 地勢は、北西部の瀬戸内海に浮かぶ中島から高縄山系のすそ野の平野を経て、重信川と石手川により形成された松山平野へと広がっています。市の南側には東西に走る中央構造線上に道後温泉が湧出しています。市域面積は429.05平方キロメートルです。
 気候は、温暖な瀬戸内海気候に属し、積雪や自然災害も極めて少なく、絶好の自然条件を備えています。太平洋側の高知県に比べ台風の通過も少なく、穏やかで恵まれた気候条件です。年平均気温は摂氏16.5度,年間降水量 約1,300mm。

●2013年4月1日現在 人口・世帯数
 ・総人口  514,559人
 ・男     239,814人
 ・女     274,745人
 ・世帯数  227,669世帯
 ・世帯平均人数 2.26人 

★楽天トラベル 国内旅行 宿泊・航空券・レンタカー予約★

●愛媛県第2の都市-今治市

  

  今治市は、愛媛県の北東部に位置し、瀬戸内海のほぼ中央部に突出した高縄半島の東半分を占める陸地部と、芸予諸島の南半分の島しょ部からなる。人口は166,532人(前回調査2005年と比べ 7,4510人減),世帯数68,220戸(前回調査2005年と比べ 795戸減)である。 (2010年国勢調査)
 この地で中世には村上氏などの伊予水軍が台頭し、戦国の動向に大きな影響を与えた。慶長5年(1600)、藤堂高虎が20万3千石の領主としてこの地に入り、今張を今治と改め今治城と城下町を築いて都市としての原型をつくった。明治22年、市町村制の施行により陸地部の中心が今治町となり、大正9年、日吉村と合併して今治市が誕生した。

 太平洋戦争での戦災に遭いながらも港を中心とした商業都市として、また、タオル、縫製、造船などが基幹産業として発展をとげた。平成11年には瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)が開通し、中四国の交流、流通の拠点となった。平成17年1月、越智郡11か町村との合併により、人口18万人となり、松山市に次ぐ県下第2の都市となった。 繊維産業も盛んで、特にタオルの生産は、全国生産高の約5割のシェアを持つ。全国的な競争力をもつ食品、電気、石油などの企業、大島石の石材加工、伝統産業として桜井漆器や菊間瓦がある。大型船の生産実績が国内の4分の1を占めるなど、造船・海運都市としても期待されている。

今治・しまなみ海道

  瀬戸内しまなみ海道(西瀬戸自動車道)は、愛媛県今治市から広島県尾道市まで、点在する島々を経由する総延長59.4kmの海の道。大小6つの島に架けられた10橋の中には、世界一の斜張橋・多々羅大橋、世界初の3連吊橋・来島海峡大橋などもあります。全ての橋は徒歩や自転車で渡橋できるので、多島美を眺めながらの散策も快適です。


愛媛県の大学

 ・愛媛大学 : (
 ・愛媛県立医療技術大学:()
 ・:()
 

  


   産業


●四国中央市−地域が育んだ製糸業

  愛媛県の四国中央市では「お札と切手以外は何でも揃う」といわれるほど,江戸時代より手漉き和紙の地場産業集積地として長い歴史を有し,現在でも多様な紙産業が集積しています。
 近年,ダム建設による工業用水の確保や,港湾整備が行なわれ大王製紙,丸住製紙,・愛媛製紙,ユニ・チャームなどが立地し,今日では紙・パルプ紙加工品製造品出荷額約4,800億円と日本一の紙のまちにまで成長しました。2011年年3月には多目的国際ターミナルが供用を開始し、港湾機能のより一層の充実が図られました。

●今治市−地元一丸 タオル製造

  愛媛県今治市の四国タオル工業組合には119社が加盟する。2011年の生産数量10,014トン,工業出荷額は年間152億円と国内最大のタオル産地である。
 今治では,温暖な気候、良質の水を生かした綿花栽培と、白木綿などの織物要が江戸時代から盛んであった。1879年(明治12年)に四国で初のキリスト教会が今治に設立されて西洋文化が広まり、新しい商品作りに取り組む気風が生まれた。

 1894年(明治27年)に今治でタオル製造が始まり、綿織物を手掛けていた業者が生産するようになった。大正時代には高級なジャカード織りの導入で生産額が拡大したが、平成になると海外産の安価なタオルに押されて出荷額が急減した。

 2006年度には今治商工会議所が四国タオル工業組合や今治市と連携し、国の「JAPANブランド育成支援事棄」として採択されてプロジェクトを開始。地元一丸の取り組みでの再生が期待される。

2013年  輸入タオル国別数量                 単位:トン

中   国 ベトナム インドネシア パキスタン 米   国 タ   イ 台   湾 その他 前年比 
1 3,958 1,401 171 122 2 95 0 139 5,888 96.6
2 2,798 1,103 112 139 0 101 0 192 4,445 102.8
3 3,995 1,410 97 109 0 72 0 176 5,859 88.0
4 4,554 1,803 80 77 0 131 0 188 6,833 108.2
5 4,676 1,689 64 45 0 138 0 150 6,762 99.8

                             出典:四国タオル工業組合HP http://www.stia.jp/data/data03.html




愛媛県今治市のご当地ゆるキャラ "バリィさん ” 
 バリィさんの商標は第一印刷によって取得されており(第5305691号、第5435183号)、著作権も第一印刷に帰属します。その為、商用グッズなどに使用する場合は基本的にキャラクター使用料が発生します(有料)。ただし公益目的の場合は第一印刷の監修のもとで無償利用することができる。  タオルや文房具、ぬいぐるみ、菓子など様々な商品が販売されており、その数は,2013年4月末時点で契約段階も含め250点余りである。                                                                                (出典:ウィキペディア)
★瀬戸内海の海岸線が多い四国の愛媛。松山や風光明媚なしまなみ海道。愛媛のお土産や名産品もチェック!★


●愛媛の方言

『帰ってこうわい』⇒帰るからね。
『なんしよん』⇒なにしてるの。
『ほしたら』⇒そうしたら。
『ほじゃけん』⇒だから。

『あずる』⇒てこずる。
『きない』⇒黄色。
『しょー』⇒とても。






●ランキング・ベスト&ワースト

 

 愛媛県を代表する果実といえば,みかんである。段々畑で栽培の愛媛みかんは,生産量で30年以上にわたり連続日本一を維持している。なお,町村単位のみかん生産量日本一は,愛媛県吉田町。吉田町では,明治10年頃から栽培が始まり,今も120年を超える古木が残っている。
 山口県で発見され,愛媛県で栽培が広がった「いよかん」は,国内生産の80%強を占める。
 
 日本最古の温泉と言われる道後温泉。三層楼閣の道後温泉本館(松山市)は,国の重要文化財に指定された現役の建築物である。











          愛媛index     △PAGE TOP    |     HOME