03 流通の歴史(推敲中)
    

          ブログ・「ビジュアル 流通の基本」:日経文庫−08年2月15日 4版発行

◆江戸時代の物流
 江戸時代は,「都市の時代」でもありました。徳川幕府の安定により,戦乱の世が終わり,要害の地を選んで造られた城は山を降り,政治や経済の運営に便利で,交通の便のいいところに造られるようになり城下町ができました。

 城下町には多くの人が住むことから,物資の集散に都合いい,海または川などの「水」に近接していました。物流の観点で都市が形成されたのは,こうした事情によります。
 江戸時代の東西間の物流事情はというと東海道は公道であり,すべてにおいて公用優先でした。荷物は各宿場にある問屋が継ぎ立てて運んだのですが,公用優先であることから,民間の荷物などは後回しとなったり,道幅が狭いことから移動効率は非効率でした。

 海上はというと,大坂〜江戸間には難所の熊野灘があり,伊豆半島の先,下田からは黒潮が大平洋に向かって流れていました。航海技術の未熟な江戸初期にあって,海流と風を主な動力に動く船にとって,東西の海上交通は容易ではありませんでした。
 こうした事情から,江戸時代の都市は,その消費生活を支えるための物資の大半を,周辺地域からの供給でまかなっていたのです。
 遠隔地から 輸送されるものもありましたが,地域の需給体制が経済の主体でした。「そこにあるもので済む」生活をするのが基本であり,物流が社会を作るような発想はありませんでした。


◆現在の状況
 2000年5月末,1974年施行の大規模小売店舗法が廃止され,大型店に対する経済的規制が撤廃されました。1974年の大規模小売店舗法施行後,さらに1980年代にはその運用面で極めて厳しい出店規制が行われ,大型店と小規模小売業,また大型店相互の競争もが抑制されてきました。
 厳しい出店規制のもとで,総合スーパーはその経営資源を出店の規制がないコンビニエンスストア分野にに注ぎ,同業態は急速な発展を遂げました。
 1990年代に入り,一転して大規模小売店舗法の規制が媛和され,総合スーパーなど大型店の大量出店がなされました。バブル経済のもとでの地価高騰もあって,その立地は郊外が主流となり,既存商店街は急速に衰退し,必然的に中心的な商店街が立地していた中心市街地の疲弊が進んでいます。


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