鹿児島 ゆかりの文芸人

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 ここでは,鹿児島にゆかりの文学者とその作品や鹿児島を舞台にした作品をとりあげます。
 
 「我が前に桜島あり西郷も大久保も見し火を噴く山ぞ

  有村溶岩展望所の歌碑に刻まれた,大河ドラマ「天と地」「風と雲と虹と」の原作者で歴史作家・海音寺潮五郎の歌です。なんと,気宇壮大な歌であろうか。


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 ●  海音寺 潮五郎 かいおんじ  ちようごろう ●
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 海音寺潮五郎(本名・未冨束作 すえとみとうさく)は、1901(明治34)年11月5日,鹿児島県大口市(現伊佐市)に生まれました。県立加治木中学枚(現・加治木高校)時代から、小説などを書いて雑誌に投稿。国学院大学卒業後は国語教師となりましたが、1929(昭和4)年、「うたかた草紙」が懸賞小説に入選。1936(昭和11)年に「天正女合戦」「武道伝来記」で直木賞を受賞。以後、歴史小説を次々と世に送り出しました。
 1969(昭和44)年、「夫と地と」がNHKの大河ドラマとなり、人気沸騰のさなか、新聞・雑誌からの引退を宣言。那須の別荘にこもって、ライフワークである長編史伝『西郷隆盛』の完成に全力を注ぎました。だが,1977(昭和52)年12月1日、未完のまま倒れ,76歳でかえらぬ人となりました。

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 2013年4月,直木賞作家、海音寺潮五郎(1901〜77)を顕彰する財団法人海音寺潮五郎記念館(東京)は,出身地の鹿児島県の自治体などに著作権や原稿を譲り、計3億5000万円を寄付しました。

 海音寺は鹿児島県旧大口村(現伊佐市)出身。海音寺潮五郎記念館(東京都世田谷区)が昨年末、運営費の確保が難しいことなどを理由に閉館したため、運営する財団法人の役員だった遺族らが、ゆかりの自治体などへの寄付を決めました。

 長男で財団理事長だった末冨千橿(ちかし)さん(81)は「海音寺の文業を後世に伝え、歴史文学の振興を図るという財団の志を引き継いでほしい」と語っています。
  財団の解散にあたり、基本財産から同図書館へ1億円、鹿児島市の施設を管理するかごしま教育文化振興財団へ1億円と海音寺作品の著作権、かごしま近代文学 館(同市)に関係資料、伊佐市へ約1億5000万円、鹿児島大学へ東京記念館の建物を寄付。4月23日に伊佐市、24日は鹿児島市役所でも贈呈式がありました。



鹿児島県立図書館 「海音寺潮五郎コーナー」

 鹿児島県出身の歴史小説家海音寺潮五郎のゆかりの品を集めた鹿児島市の県立図書館展示コーナーがあらたに100点以上を加えてリニューアルしました。

「天と地と」や「悪人列伝」などの作品で知られる海音寺潮五郎は明治34年にいまの伊佐市に生まれ,歴史上の人物や事件などをわかりやすく書いた作品を数多く残した歴史小説家です。

鹿児島市の県立図書館には栃木県の海音寺潮五郎記念館から寄贈された海音寺の愛用品などを集めた展示コーナーがあり,11月初めに新たに寄贈された115点が加えられました。
リニューアルの中心は,栃木県那須塩原市の別荘にあった海音寺の書斎が再現されたコーナーで,長年にわたって作品の執筆に使っていた机やいす,筆記用具などが置かれていた向きまで正確に展示されています。

また海音寺は作品の執筆のとき以外でも短歌や俳句,それに手紙を筆で書いていたということで,当時愛用していた数多くの筆も展示されています。



 鹿児島県立図書館は,(財)海音寺潮五郎記念館から,海音寺潮五郎氏が那須塩原市(栃木県)の別荘で執筆活動の際,使用していた机・座椅子など書斎一式及び図書の寄贈を受けまし た。本館では,それらを展示するとともに,開架図書数を増やすなど海音寺潮五郎コーナーをリニューアルしました。




伊佐市轟公園の歌碑
 伊佐市大口263の里轟公園内には「ふる里のさつまの国は空あをしただあをあをと澄み通るなり」と刻んだ海音寺潮五郎の歌碑が建立されています。

桜島の歌碑
 桜島の有村溶岩展望所には,海音寺潮五郎の「我が前に桜島あり西郷も大久保も見し火を噴く山ぞ」と刻んだ碑が建立されています。


天と地と(上) [ 海音寺潮五郎 ] 天と地と(中) [ 海音寺潮五郎 ] 天と地と(下) [ 海音寺潮五郎 ]
  大河ドラマ
10世紀中頃、華やかな藤原権勢の世に弓引いた坂東の風雲児・平将門と西海の雄・藤原純友。


 うまい焼酎づくりに欠かせないのが良質の水と米,そして薩摩芋。鹿児島県伊佐地方(大口,菱刈)は,美味で知られる伊佐米の産地であり,清流,寒冷な気候など自然環境にも恵まれている。そんな恵まれた環境で生まれたのが『伊佐焼酎』。

 伊佐の11の蔵元が協業組合として統一ブランド『伊佐錦』の大口酒造を,1970年に創業。大口酒造の創業時,この出身で直木賞作家の海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)は,次のような賞賛の書簡をよせています。

 「薩摩の焼酎は,日本一…,いな世界一である…。その薩摩焼酎の中で伊佐郡の焼酎を最上とするとは,鹿児島県内の定評である…。僕のふるさとの焼酎なのである」。


 厳しくも優しいその味わいが,薩摩出身の文豪を魅了したのでありましょう。その銘酒,「伊佐錦」の書体もまた,海音寺潮五郎によります。
・蔵元住所:鹿児島県伊佐市大口原田643番地  TEL: 0995-22-1213

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 伊佐の11の蔵元が協業組合として統一ブランド『伊佐錦』の大口酒造を,1970年に創業。大口酒造の創業時,この出身で直木賞作家の海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)は,次のような賞賛の書簡をよせている。

 「薩摩の焼酎は,日本一…,いな世界一である…。その薩摩焼酎の中で伊佐郡の焼酎を最上とするとは,鹿児島県内の定評である…。僕のふるさとの焼酎なのである」。


 厳しくも優しいその味わいが,薩摩出身の文豪を魅了したのであろう。その銘酒,「伊佐錦」の書体もまた,海音寺潮五郎によります。

海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)

 1901(明治34)年11月,鹿児島県の北方・熊本県との県境にある現在の伊佐市に生まれた。 海音寺は,明治中期以後衰退した史伝文学の復興を目指し,多くの史伝文学を手がけた。代表作に,「天と地と」「西郷隆盛」 「武将列伝」 などがある。


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 ●  林芙美子(本名・林フミ子) ●
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 林芙美子(本名・林フミ子)は、1903(明治36)年、福岡県北九州市(一説に山口県下関市)で生まれました。6歳のときから両親とともに九州各地を行商して歩き、10歳のときにはひとりで母の故郷・鹿児島に預けられ、市内の山下小学枚にも通いました。
 やがて、芙美子は尾道高等学枚に進学。卒業後は上京、職を転々としながら、詩や童話、『放浪記』のもととなった歌日記などを書き続けました。
1928(昭和3)年、雑誌「女人芸術」に「秋が来たんだ一放浪紀」が連載されると好評で、2年後に『放浪紀』が出版されるやベストセラーに。芙美子はたちまち新進小説家として注目を浴びました。以来、「晩菊」「浮雲」「めし」など数多くの名作を世に送り出しました。1951(昭和26)年、48歳で急逝しました。




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 ●  島尾敏雄 ●
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 島尾敏雄は、1917(大正6)年、神会川県横浜市に生まれ、のち一家で神戸に移住。
長崎高市から九州帝大に進みました。1944(昭和19)年、第18東洋隊の指揮官として奄美諸島の加斗呂麻島に駐屯。こ
の特攻隊体験は、彼の生涯と史学に大きな影響を与えました。
 戦後は神戸で教職について、同人誌などに小親を発表。「単独旅行者」「夢の中での日常」などにより戦後丈学の有力新人と認められ、1950(昭和25)キ「出孤島記」で第1回戦後丈単音を受営。2年後に上京し、次々に秀作を発表しました。
1955(昭和30)年、貴・ミホの病気治療のため、貴の故郷・奄美大島の名瀬市に移住。「出発は遂に訪れず」「死の棘」などを発表しました。
1975(昭和50)年以降は鹿児島と神奈川で暮らしよしたが、1986(昭和61)年、自宅で倒れ、出血性脳梗塞のため69歳で亡くなりました。

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 ●  椋鳩十(本名・久保田彦穂) ●
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 椋鳩十(本名・久保田彦穂)は、1905(明治38)牛、長野県下伊郡郡喬木村に生まれました。
 県立飯可中学枚から法政大学に逢み、卒業後は姉を頼って、鹿児島に移り住み、加治木高尊女学級(現・加治木島枚)の国語教師となりました。
 1933年(昭和8)年,椋鳩十のペンネームで,「山窩調(さんかちょう)」を自費出版。1938年,「山の太郎熊」を少年倶楽部に発表。以後,「代造爺さんと雁」「月の輪熊」など多くのすぐれた動物物語を書きました。
 戦後は、鹿児島県立図書館長としても活躍。「母と子の20分間読書運動」を撮唱し、全国的な反響を呼びました。65歳を過ぎてからも「マヤの一生」「モモちゃんとあかね」などの代表作を生み出しました。
 おおらかであたたかい人柄は多くの人々に慕われよしたが、1987(昭和62)年、肺炎のため82歳でこの世を去りました。

 鹿児島市は4月9日、新人作家が対象の第23回椋鳩十児童文学賞(鹿児島市など主催)に、市川市在住の石井和代さん(90)の作品「山の子みや子」(出版社・てらいんく)を選んだと発表した。石井さんは歴代受賞者で最高齢。全国から応募された37作品から選ばれた。

 受賞作は岩手県で酪農を営む家族の物語。8話構成の短編集で、都会から岩手県田野畑村に移住し、酪農を営む一家の姿を小学5年のみや子の視線で描く。

 都会で育ちながらも、山の生活にとびこんだ父親、それを支える母親、兄弟、友だち、牧場の牛、近隣の人間模様・くらしを長女みや子の目を通して描く。自宅に電気が通じることになり大喜びのみや子、しかし、それには、慣れ親しんだ岩や大樹をなくすことを知り心を痛める。家族一丸となり牛の面倒をみるみや子の家族。厳しい山の生活、牧場のくらしのなかでの家族の絆、幸福、生きる、がテーマ。 山地酪農は、夏でも冬でも牛たちを放牧地に放し飼いにし、乳をしぼるときだけ小舎にいれて飼料をやる。こうした自然のなかで牛を飼うと強くていい乳のとれる牛になるという。

 厳しい自然の中で育まれる家族の絆や、幸福とは何かをテーマにした。実際に村で暮らす元教え子の男性と家族がモデルという。
 石井さんは40代から本格的に執筆を開始。受賞作が初めて出版した作品だった。



▼舞台は、岩手県田野畑村
 舞台は、岩手県田野畑村。 田野畑村(たのはたむら)は、日本の岩手県下閉伊郡にある、太平洋に面した村です。 田野畑村には、過去の津波の恐ろしさを伝える津波石があり、「三陸海岸大津波」を著した吉村昭が何度も取材に訪れたことで知られる。

 
 椋鳩十賞は鹿児島県立図書館長などを務めた児童文学作家の椋鳩十(1905〜87年)の業績を顕彰するとともに、児童文学作家の発掘を目的に1990年に創設された。昨年中に国内で刊行された児童文学作品のうち、新人の2作目までが対象で、37点の応募があった。これまでの最高齢受賞者は59歳だった。授賞式は5月8日、鹿児島市で行われる。

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■ 鹿児島市図書館企画展
   椋鳩十児童文学賞受賞作品展 平成25年4月24日(水曜日)〜6月3日(月曜日)

 第23回椋鳩十児童文学賞受賞作品やこれまでの受賞作品の展示、貸し出し。また,椋鳩十作品の展示、貸し出し。

・〒890-0063 鹿児島市鴨池2丁目31-18 電話:099-250-8500

  
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椋鳩十児童文学賞
 同賞は鹿児島県立図書館長などを務めた児童文学作家の椋鳩十(1905〜87年)の業績を顕彰するとともに、児童文学作家の発掘を目的に1990年に創設された。昨年中に国内で刊行された児童文学作品のうち、新人の2作目までが対象で、37点の応募があった。これまでの最高齢受賞者は59歳だった。授賞式は5月8日、鹿児島市で行われる。

児童文学者:椋鳩十(本名:久保田彦穂)
 明治38年長野県下伊那郡喬木村に生まれ、法政大学を卒業以来、鹿児島で一生を過ごした作家である。
 彼は、日本で初めて本格的な動物文学のジャンルを切り開いた作家で、「片耳の大シカ」「マヤの一生」「カガミジン」など不朽の名作を数多く残している。
 「大造じいさんとガン」(昭和16年の作)は、現在でも小学校5年生の国語教科書に掲載されている作品である。
 これらを含め椋鳩十の動物文学は、動物の生態を、生息する自然の中できわめて正確に描き、動物と人間とが自然の中で共存する大切さを訴えている。
 この動物文学を書き始めたのが加治木町であり、約20年間在住したことから「椋文学発祥の地」として又「椋鳩十の第二のふるさと」として、椋鳩十記念館が平成2年に開館した。



● 鹿児島空港から車で15分、バスで25分   九州自動車道、加治木インターから車で5分
● JR西鹿児島駅から日豊本線で30分    JR加治木駅から車で5分、徒歩10分
● JR錦江駅から車で5分、徒歩10分

〒899-5231  鹿児島県姶良郡加治木町反土2624番地1
TEL/0995-62-4800  FAX/0995-62-4801

◇長野−椋鳩十記念館・記念図書館 
  (下伊那郡喬木村 1459-2) TEL 0265-33-2001 FAX 0265-33-3679
 [ 開館時間 ] 10: 00 〜 18: 00
 [ 休館日 ] 毎週月曜日・年末年始(他にも休日があるので確認のこと)
 [ 料金 ] 大人 200円 子供(小中学生) 100円







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 ●  林崎春生 ●
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林崎春生は、1915(大正4)牛、福岡県福岡市に生まれ、熊本の第五高等学枚から東京帝大へ進学。卒業後、公務員や会社員をしたのち、29歳で海軍に召集され、暗号特撮兵として終戦まで鹿児島で過ごしました。
 このときの体験をもとに、小説「櫻島」を書き、一躍、戦後派作家として認められました。その後も「日の果て」などの“戦争もの”を次々と発表しました。
 やがて、作品は“市井事もの”が中心となり、この系列の頂点「ポロ家の春秋」で1955(昭和30)年、直木賞を受賞しました。
 その後、一時的に低迷しますが、「狂ひ凧」を書く項から復調し、この年には鹿児島を再訪。そして2年後の1965(昭和     
40)年、この泉の経験を背景にした小説「幻化」を発表しました。しかし、そのわずか1ヵ月後、肝硬変のため、50蔵で急逝しました。


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 ● 向田邦子 ●
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 ●  岡田哲也 ・詩人 ●
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■ 体育会系詩人
  故郷の鹿児島で詩やエッセーを書き続ける詩人の岡田哲也さん(65)。 岡田さんは時々「体育会系詩人」を名乗る岡田哲也さんは根っからのスポーツ好きで野球少年を描いた長文の詩もある。子供のとき来日したヤンキースにあこがれて野球選手を目指し、中学校では念願の野球部に入った。
 だが14番目の末っ子だった岡田さんは兄や姉たちから「これからは勉強の時代だ」と寄ってたかって説教される。学校でも尊敬する人物を巨人の「川上哲治」と書き、先生から「真面目に書け」と頭をたたかれた。泣く泣く野球を断念し、進学校から東大へ進んだ。           
               出典:産経新聞 産経抄より 2013/1/13


● 「南日本新聞」8月28日付読書面  ●

 詩人岡田哲也は、今、還暦から古希への道を渡っている。最新刊書名の「憂しと見し世ぞ」は、百人一首の藤原清輔朝臣の短歌で、全文は「長らへばまたこのごろやしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき」となる。「コラ、テツヤ、オマエは、今までナンバしとった」の問いに、青春の思い出と覚悟をかみしめた新聞連載などの随筆でこたえている。
 1978(昭和53)年出版の岡田の第一詩集「白南風」に、桶谷秀昭は「岡田君がこの十年近く郷里にいてやったことは、青春を殺すことであった」と辞を寄せた。詩集所収の詩の二連が辞と対句になる。「ひそみよるとしつきの襞鞭打つ/黄泉濡れたいまわの遊行」(ものみなは薄明の汀で)
 「今際(いまわ)」も「汀(みぎわ)」もこの世とあの世の境。青春の首を絞め不惑を葬り、今際の次の段階、今際の際(きわ)まで、どこに住もうが幾つになろうが、「オレはオレ」と宣言している。
  出典:[編集長日記]図書出版 花乱社  http://karansha.exblog.jp/14519651)


■プロフィール
 1947年出水市生まれ、東京大学中退。詩集に「白南風」「にっぽん子守唄」等。エッセイ集「不知火紀行」「夢の続き」など多数。作詞として「夢のつづき」(南こうせつ作曲)や、組曲「かごしま」「川内」など。朗読のステージも百回を超える。趣味は近くの川での鮎とり。子どもの作詩作曲コンクール「かごしまグリーンクリーンサウンド」の作詩部門審査委員長。

憂しと見し世ぞ
「おさらば」
一九七一年秋、私は東京におさらばした。
蕩児の帰郷である。あるいはふるさとへ回る気の弱い六部というところだろうか。ふんぎりをつけようと都落ちした私だったが、故郷に帰っても、何も始まらなかった。武田鉄矢の「母に捧げるバラード」ではないが、どこへ行っても何をしても、「コラッ テツヤ 何バシトットカ」という幻聴を聞いた。

花乱社


                     
 島尾敏雄(しまお としお)は、1917(大正6)牛、神奈川県横浜市に生まれ、のち一家で神戸に移住。長崎高市から九州帝大に進みました。
                
1944(昭和19)年、第18震洋隊の指揮官として奄美藷島の加計呂麻島に駐屯。この特攻隊体験は、彼の生涯と文学に大きな影響を与えました。
 戦後は神戸で教職について、同人誌などに小説を発表。「単独施行者」「夢の中での日常」などにより戦後文学の有力新人と認められ、1950(昭和25)年「出孤島記」(しゅっこうとうき)で第1回戦後文学賞を受賞。2年後に上京し、次々に秀作を発表しました。
1955(昭和30)年、妻・ミホの病気治療のため、妻の故郷・奄美大島の名瀬市に移住。「出発は遂に訪れず」「死の妹」などを発表しました。
1975(昭和50)年以降は鹿児島と神奈川で暮らしましたが、1986(昭和61)年、自宅で倒れ、終結性脳梗塞のため69歳で逝去しました。

   うめ ぎき   はる お
                            
 林崎養生は、1915(大正4)年、福岡県福岡市に生まれ、熊本の第五高等学校から東京帝大へ進学。卒業後、公務員や会                   社員をしたのち、29歳で海軍に召集され、暗号特捜兵として終戦まで鹿児島で過ごしました。
 このときの体験をもとに、小鋭「桜島」を書き、一躍、戦後派作家として認められました。その後も「二の果て」などの“戦争もの”を次々と発表しました。
 やがて、作品は”市井事(しせいじ)もの”が中心となり、この系列の頂点「ポロ家の春秋で1955(昭和30)年、直木骨を受賞しました。
 その後、一時的に低迷しますが、「狂ひだこ凧」を書く項から復調し、この年には鹿児島を再訪。そして2年後の1965(昭和40)年、この線の経験を背景にした小説「幻化(げんか)」を発表しました。しかし、そのわずか1ヵ月後、肝硬変のため、50歳で急逝しました。
棟鳩十
  
 棟鳩十(本名・久保田彦穂)は、1905(明治38)年、長野県下伊那郡喬木(たかぎ)村に生まれました。
 県立飯田中学校から法政大学に進み、卒業後は姉を頼って、鹿児島に移り住み、加治木高等女学枚(現・加治木高枚)の国語教師となりました。
1933(昭和8)午、「棟鳩十」のペンネームで『山窩調(さんかちょう)』を自費出版。1938(昭和13)、「山の太郎熊」を「少年倶楽部」に発表。以後、「大連爺さんと雁」「月の輪熊」など多くのすぐれた動物物語を書きました。
 戦後は、鹿児島県立図書館長としても活躍。「母と子の20分間読書運動」を提唱し、全国的な反響を呼びました。65歳を過ぎてから「マヤの一生」「モモちゃんとあかね」などの代表作を生み出しました。
 おおらかであたたかい人柄は多くの人々に慕われよしたが、1987(昭和62)年、肺炎のため82歳でこの世を去りました。



 向田邦子は,1929(昭和4)年、東京都世田谷区に生まれよした。10歳のとき、保険会社につとめる父の転勤により一家で鹿児島に移り住み、思い出深い2年余りを通ごしました。
  実践女子専門学枚(現・実域女子大)を卒業後、広各会社の社長秘書から映画雑誌の編集者を経てシナリオライターに。「時間ですよ」」「だいこんの花」「寺内貫太郎一家」などの連続ヒットを飛ばす人気シナリオライターとなりました。
1975(昭和50)年、46歳で手術。翌年、雑誌「銀座百点」にエッセイを連載。これをまとめた「父の詫び状』が、塔やかな名文として話題を呼びました。1980(昭和55)年、「小鋭新潮」に連作短編小説「思い出トランプ」を連載。この中の「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」の3編により直木賞を受賞。しかし、その翌年、台湾旅行中の飛行機事故により、51歳で突然この世を去りました。

ありしまたけお
有島武郎
1878(明治11-1923(大正12)
       いくま   とん
小説家。有島生馬・里見クの兄。
        
丈は鹿児島県薩摩川内市子佐出さづませんだいしひらさ出身。著作に『或る女』『カインの末裔』など。


有島生馬 1882(明治15-1974(昭和49)

小説家、画家。セザンヌの紹介者として画壇に影響を与えた。著作に『回想のセザンヌ』『思い出の我』など。

里見ク 1888(明治21−1983(昭和58)

小説家。本名、山内英夫。母の弟の養子となり山内氏をつぐが、有島家で育つ。著作に『善心悪心』『多情仏心』など。



一色 次郎
1916(大正5)一1988(昭和63)

小説家。本名、大屋典一。鹿児島県大島郡知名町(沖永良部島)生まれ。著作に『青幻紀』『太陽と鎖』など。


    やまぐちせい 
  山口誓子

1901(明治34)一1994(平成6)        ちかひこ
 俳人。本名、新比古(ちかひこ)。父が鹿児島県霧島市国分出身。句集に『凍 港』『黄旗』など。


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 ●南九州市マスコットキャラクターデザイン●
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 南九州市では,市制施行5周年を記念して,南九州市の観光振興,地域活性化のシンボルとなるマスコットキャラクターデザインを募集しました。
 市内の小学生(86点)をはじめ全国から470点の応募があり,審査の結果,東京都の主婦さくらぐまさんの「お茶むらい」が選定されました。「お茶むらい」は,南九州市の代表的な観光地である知覧武家屋敷庭園と全国的なお茶の産地ということから「お茶」と「さむらい」をイメージしたもので,市民や観光のお客様などが親しみやすく,イベントを盛り上げ周りの人が元気になるキャラクタです。







鹿児島市内・桜島のホテル・旅館        

大隅(霧島・国分・志布志・鹿屋・内之浦) のホテル・旅館

北薩(出水・川内) のホテル・旅館


                 


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